私が京都でオフラインな休暇を過ごしている数日のうちに、赤枕十庵さんというブロガーがweb上からいなくなった。しばらく前にmixiを退会していて、blogもはてなブックマークもLast.fmも消してしまったようだ。
メールアドレスは知っているが、webからいなくなった人間にいきなりメールを送るのは取ってつけたようで気持ち悪いので、まだ送ってはいない。
今回僕は二つのことを感じて、ひとつは過去ログ全部消すことの罪について。
blogは結局個人の著作物であって、ブロガーが消そうが残そうが個人の勝手ではある。ただ、ほんとに消していいのかよ、というか。いや、徹頭徹尾無価値なブログというのもあって、中には消えていいもの、そのほうが良い物だってあるかもしれない。
しかしですね、多くのブログの過去ログには意味がありますよ。特に赤枕さんのブログには残すべき価値があったと思う。日本文化論や、特に僕が残しておいてほしかったのは音楽に関する記事。音楽を主題にしたお勧め映画の記事なんていうのは、今後参考にするつもりだった。
しかし消えてしまったので仕方ない。
「世の中のすべての情報を検索可能にする」っていうのはGoogleだけじゃなくて、すべてのブロガーがほんの少しずつ分担して負っている使命だと、僕は思ってるわけです。「ブロガーの使命だ」って思っちゃうと息苦しいので、そうとは気づかないくらい、みんながほんの少しずつ受け持っている使命。
過去ログ全削除っていうのは、その使命への反抗です。そこに意志や理由がないのなら、全削除っていうのはやめてほしい、と僕は思います。
そう言いながら僕もmixiの記事は全削除したけどね。
もう一つ感じたことは、ブログを書く意味というか、続ける意味というか、無駄なことにかかわる無駄というか。
僕の予想では、赤枕さんは「ブロガーのバカっぷりに嫌気がさして、短気で出て行った」のだろうと思うのです。それが「意志」だといえばそれまでなんだけど。
最近、赤枕さんははてな界隈のブロガーとちょこちょこ絡んでいて、なにやら地味にやり合っていた。僕は傍目で「やめときゃいいのに」と思っていたわけだ。ブロガー全体に言えることだけど、特にはてなには議論好きというかコリクツ好きの人間が多い。
ただコリクツっていうのは人間を動かさないんですよ。例えばさ、コリクツ好きの人間自身が、コリクツで説得されて生き方を変えた事例なんてものをですね、目にしたことがありますか?私は見たこと無いです。
理屈好きの人間というのは「自分の理屈」が好きなだけであって、他人の理屈に興味ないんじゃないか。だから、赤枕さんの言葉を借りれば「理屈」ってのはこねるもんじゃなく、「たしなむ」ものなんですよ。遊びの範疇で楽しむようなものです、理屈ってのは。
赤枕さんもそういう感覚だったと思うのですが、そういう感覚で「コリクツ好きブロガー」と対峙しても、無駄なんですよ。相手の思う壺じゃないですか。
「実効性のある対話」と「理屈好きの議論」というのは、似ているように見えて全く、全く違う。もっといえば「人を動かす話」と「筋の通った話」というのも、微妙に違うものだと思います。少なくともイコールではない。
そこに対する認識が甘かったんじゃないか。赤枕さんは実効性のある話をしたがる人だと思います。でもコリクツ好きにそれを持ちかけても、たいていは水掛け論にしかならないんですよ。だから「もうウンザリだ!」って切れて、いなくなっちゃったんじゃないかと思うのですね。これはとても残念なことだ。
だから無駄なの、それは。だから多少なりとも面白いこと書くブロガーにとって一番大事なことは「書き続けること」ですよ。反論にいちいち反応するのは多くの場合、時間の無駄です。反論コメントやトラックバックを削除しないというのは誠意だろうけど、別にそれ以上することはなくて、放っておけば良いんですよ。そんな事気にかけずにブログを書いてれば良いんです。
あと、自分と意見の違う人を必要以上に「教化」しようとしないことね。これも多くの場合、特に「コリクツ好き」を相手にした場合、徒労に終わります。
だから繰り返しになるけど、書き続けることですよ。ありがちな言い回しになるけど「ブロガーの生き様をweb上に刻む」ってことですよ。くだらないことでも、それが若者にとっては参考になったり、誰かの生きる糧になったりするかもしれないでしょう。
ブログを書くっていうのは自分の人生をアーカイブ化する、検索可能にするって事ですよ。それは誰のためかというと、まずは自分のためなんだろうけど、やっぱり他人のため、とりわけて若者のためなんじゃないですかね。
いやそうはっきり書くとめんどくさくなるけど、実のところそうなんじゃないか。
普段から意識してるわけじゃないですけどね、やっぱり面白いブログが丸ごと消えてると、そういう事を思うのです。
関連:他人の不幸は蜜の味: 日本人とブログと議論
追記
※一応断っておきますが、私は「コリクツ好き」に好意は持っていませんが、存在を否定するつもりもありません。
LSTYさんのお名前は、十庵さんの「我等はブギー」で存じていました。
そうなんですよ!昨日、そういえば最近RSSから十庵さんのブログって更新されていないなあと思って訪ねてみたら、消滅していたんでちょっとびっくりして、今朝Google検索してしまいました。それでトップになっていたこちらにお伺いしたわけです。
詳しい事情のほどは存じ上げませんが、私のブログにも、ときどき十庵さんからコメントをいただいていたり、彼のブログも読ませていただいていたりしていました。
十庵さんのさまざまな考察はいつもおもしろいので、ちょっとした赤枕ファンだったわけです。
だから、このままだとすると、とても残念ですね。
ちょうどおととい友人と話をしていて、「mixiの人たちって、やっているうちに人柄が変わってきませんか?なんだか
深い議論を避けたがったりとか…」少し同意するところありでしたね。私も2年前mixi自爆組のひとりになったものですから。
いまはLSTYさんのこの記事とリンク先のHATENAから知るのみですが、過激な立川流に走らずに、乞う復帰と願うのみです。
もしかして、別のどこかで別の名前で始めてるか・・・
どっちにしても、ひとつ何かが消えたのだという点では、残念なことではあるのでしょうかね・・・。
議論を避けるというのは正解だと思うのですよ。上に書いたように有効な議論なんてほとんど見られないから。
で、僕はディベートというのはエンターテインメント性を持っていなければいけないと思うんです、端から見てて面白くなければいけない。
しかし世の中の議論好き・ディベート好きというのは「知識のひけらかし」みたいなことばかりするんですね、その上お話しもヘタだし、見てて何も面白くない。
そういう意味で、議論好きには関わらない方が良いです。
その後連絡を頂きまして、ブログ等のアカウントを全部削除されたようです。一つくらい残しておけばいいのに、とは思いましたが。
やめる楽さもあるでしょうが、続けることも続けることで楽だとは思います。惰性ですから。
で、先日「テクノクラティ」を見ていたら、赤枕さんのブログからうちのブログへリンクを貰っていたようで、
「「この人、面白そうだなぁ、お近づきになりたいなぁ」と思ったときにブログ以外にもコミュニケーション手段がいっぱいあるんですよ。未だに私はどうやっTomotubbyさんとKanimasterさんにアプローチしようか考え中です。」
という一文が出てきました。
そうか、あれが赤枕さんのアプローチだったのかと思ったりしています。Kanimasterさんのところも拝見したのですが、この方は夏目漱石のことをいろいろ書かれていて、私の指摘は案外正しかったのかもしれないな。と思っています。
ブログのメインストリーム、というか注目されてるのは「新しい話題について書くブログ」なんですけど、赤枕十庵さんは5年後10年後に読み返して面白そうな事を書いていたので、そういうところが消えるのはもったいないような気がしますね。
tomotubbyさんのブログにもそういう部分がありますが。