2010年10月28日

恋愛マーケティング

 自分がどこまでキャバクラの女の子にハマるのか、恐ろしくもドキドキしていたのだが、毒が抜けるように今は何ともない。じゃあもう行かないのかと言えばそうではなくて、まあそのうち行こうとは思うが、以前のような「依存性」は感じない。こうなってくると「顔出し」という義務感になってしまって、面白くないと言えば面白くないのだが。

 というか。

 僕はキャバクラに行く前に、たいてい必ずどっかで下地をこしらえる。バーで一杯(というか2、3杯)ひっかけてからキャバに乗り込むわけです。
 そっちのバーで、いい知り合いを作った方が健全ではある。いや、男で。
 ただねえ、どうも僕が出入りする地元のバーって客層が良くない。妙に「インテリ気取り」の客ばかりで。そう思うと門前仲町BigHornの客層は良かった。あれは店主の人徳によるものなのかも知れない。僕がタモリ倶楽部の話をしてると、店主が店の奥から地図を出してきて、深夜二時頃まで河川の話をする、なんてのは楽しかった。
 田舎では、そういう「ノリ」ってのはない。言い換えれば、バーという空間でリラックスしてる客が少ないのであります。これは、地方都市に行ってスナックではなく、正統なバーに行くと、おおむねそうなんじゃないかと思う。
 なので僕はずっとバーで本を読んでる。たまに少しだけ、店員と話すけど。

 そうだなあ、田舎がいやなのは「友達が出来ない」ってことも大きい。趣味の話がガッツリ出来る友達は、今のところ嫁だけだ。

 ちょっと待った。もとい。バーで作る知り合いが男だったら、当初の願望である「若い女の子と食事に行きたい」はどうなるのかな。
 正直、ガッツリ趣味の話が出来る知り合い(男)がいれば、女なんかいらんような気もするが。

 で、先日書いたみたいにキャバクラの商売は「やれるようでやれない感じ」が根底にあって、結局これって「中高生男子の恋愛」なんだよね。「うーん、次のデートでチューまでいけるかなあ」という。男はやっぱりジラされるのが好きなんだなあ、と思う。そうやって永遠にジラされるわけですが、ジラされる事自体が快楽なので「チューできない」って事実は割とどうでもいい。
 そう考えるとキャバのマーケティングは「永遠の童貞諸君」に対して完璧だ。

 で、この「やれそうでやれない」イコール「欲望と諦念」でありまして、これは童貞ならずとも、全ての男子に有効な攻略法であるように思える、思いたい!

 しかし、ここまで男子の心を翻弄するシステムを作って「耳かき店殺人」みたいな事例が表に出ないのはちょっと不思議だなあ。

 最近、風俗やキャバクラの話で、自分の恋愛話を持ち出すことが多いんだけど、結局これって「俺はかつて、これだけ人のことを愛せていたんだ」っていう、まあ「俺ってすごい」「自分大好き」な話なんだよね。
 過去のああいうラブレターを読み返してみても、どうも最近「彼女とヨリを戻したい」とは思わなくなってきた。そりゃ表面的にそう思いたいだけかも知れないけど、なんというのかなあ、何かが「切れた」んですよ、感情の線が。
 今、現実的な話をすると「僕はどうすれば、嫁に対して『恋』という感情を抱けるんだろうか」って事を考えてます。好きだよ、愛情はあるんだ。でも恋心はないんだな。そこをどうしようか、というのが目下の悩みです。
 まあ、誰にも相談はしませんが。

 蕎麦屋メモ:さらざん、オシャレだが良い店ではない。蕎麦水っぽく味はない。そば湯もそば茶も過剰にぬるい。酒の供し方もヤクザ的で好意もてず。
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