2011年07月06日

7月初旬日記

Pop is dead.・webの普及によって、ずっと著作権が問題になってきたんだけど、なんとなく最近、「出典元がどうこうなんてどうでもいい」という感覚が浸透してるような気がする。
・ネタ画像的な物について、特に個人発信の画像についてそうなってるような気もする。つまり個人が発信したネタ画像というのは、最初から「みんなのため」のものであって、オリジナルがどうかとか言うべきじゃないという考えがあるのかもしれない。てめえが発信元かどうかじゃなくて、みんなが楽しめればいいだろう、みたいな精神。

・こういう流れっていうのは、2chや2chまとめサイトから、タンブラーやNAVERを経て、twitterで完成した感覚なのかなあ、となんとなく思えていて、著作権侵害という感覚の薄れに加えて、twitterの「拡散」という価値観が、そういう動き(ネタはみんなのもの、という考え方の浸透)を加速させてるような印象。
・あと、SNSの普及によって「不特定多数」と「限定された知人」のボーダーが曖昧になった、ってのもあるか。友人だけ、twitterであればフォロワーに対してだけ画像を紹介してるつもりが、他人からも見られているというような。でも当人にはそういう意識がないっていう。

・境目が分かりにくくなる、例えば「内と外」の境、現実と仮想現実の違い、日本と外国の違い、そういう物が薄れることを僕は嫌うし、恐れるのだけれど、つまりwebというメディアの普及であったりグローバリゼーションだったりというのは、そういう事なのですね。利便性の代わりに、固有の文化や、今まで守られていた物が壊されるという。
・今更だけど、そういうものだな。

・関連して言うと、blogによる情報の伝播というのは、伝播しながらその情報の内容(真偽とか)が吟味されるという部分があったと思うんだけど、twitterにおける情報の伝播(ReTweet)にはほとんどそんなのなくて、誤報だろうが何だろうが吟味されずに拡散するっていう側面がある。
・引用(ReTweet)のための手続が簡単で、また情報のやりとりが刹那的だということに加え、文字数制限があるために引用元・出典の明記や、ひいては内容に対する吟味が免責されてる感じはある。
・いや、そもそも引用とReTweetは違うか。Yahoo!ブログで話題になった「転載」に近いのかな。引用ってのは、自分が書いた主となる文章があり、それに関連した副次的な物として引用があるというか、主・副の関係がある。ReTweetの場合は、多くの場合、それがない。

・FTPによるホームページ更新→blog→SNS(→SBM)→Twitterという流れっていうのは更新しやすい=手軽へっていう流れであって、それはすなわち、情報の質より量へって流れでもある。
・情報の流通量が増える事によって、吟味の機会も増え、浄化が進むという事もあるんだけど、今は、流通量とスピードに浄化作用が追いついていないといえばそうだ。

・震災によってTwitterの良い部分・悪い部分が色々言われ尽くしたんだろうけど、そこら辺を追ってなかったので、今更そんな事を考えていた。

・戦車プラモはヘッツァー組み上げ後、塗装作業に未着手。雨が降っていて、スプレーができないのだ。その合間をぬって、ヴィルベルヴィントの対空砲(Flak38)や、ケッテンクラートのおまけとして付いてきたゴリアテを組んでいる。あっちこっちツマミ食い。
・ゴリアテは爆弾を積んで敵地に乗り込むリモコン戦車で、世界初の無人戦車って事になるんじゃなかろうか。非常に小さいのだが、しかしそれでも全長150cmはあるので、思ったほどの小ささではない。
・さて、タミヤの1/48戦車プラモっていうのは新しい物かと思っていたら、40年とか前からあったのだった。以前入手した「昭和ちびっこ広告手帳」を見ていると、1/48の戦車プラモ広告が載っている。その頃の金型なり原型を改良したのが、今の1/48ミリタリーミニチュアシリーズなのかと思う。
・で、その昔の1/48ヘッツァーを見ると、広告の写真では灰色塗装なのね。大戦後期の戦車なので、実存した車両は原則すべて黄色ベースのはず。現在提示されている作例ではすべて黄色ベースなんだけど、当時の広告では灰色になっていた。僕も灰色に塗る。

・前にも書いたけど、戦車模型、特に第二次世界大戦時の戦車模型の恐いのは「実物があること」と「実物が見られないこと」にある。
・実物があるから、模型作りの到達点は「実物に限りなく近い模型」という事になる。ガンダムのプラモなんかでは、設定資料はあれど実物はない。設定資料ってたかが設定資料なので、目立つ部分とか意味づけしやすい部分までしか設定がない。だから近づけやすいのですね、設定にない部分は適当に作ってもいいわけじゃないですか。でも、戦車の場合は、普通の人は見落とすような細かい部分まで作り込まなきゃいけない。
・あとは「実物が見られないこと」、これも結構大きい。大戦時の写真は白黒だし、きれいな写真も少ない。そこから実物の色を推測するっていう、これには当然、当時の軍部の文献なんていう物もあるわけですが、文章から色を特定するのってできないわけですよ。世界各地には実車が残ってたりするんですが、退色してるだろうし、塗り直してるケースもあるんじゃないのかなあ。
・これ、例えば「できた当時の阿修羅像をプラモデルで作る」っていうのと似てますね。

・赤枕十庵さんの音楽記事:Another Boogies - [思い出のアルバム] Sex Pistols “Never Mind the Bollocks”
・こういうの、共感を覚えつつ違和感があるのは、中高生の頃、僕には「非童貞の友達」っていうのはいなかったんですよ。モテる男とか、サッカー男子みたいなああいうのは僕にとって敵というか、なんでしょう、僕は鬱屈した少年だったんですね。いまは鬱屈した中年です。
・素行が悪くて、かつ僕の心に訴えかけてくるような同年代っていなかった記憶があるわけです。例えば、すごくいい音楽を知っていて、僕にそれを教えてくれる子って、いなかったんですね。
・というか素行の良否にかかわらず、音楽を一緒に聴くような知人はいなかった。高校の頃の同級生でロック好きがいたけど、彼が紹介してくれたのは当時のハードロック、ヘビメタ系で、ガンズ・アンド・ローゼズとか。唯一、ちょっと良いかな、と思ったのがジュダス・プリーストくらいか。当時の僕はキング・クリムゾンにドップリだったので、リアルタイムのロックでは物足りなかったのですね。で、そのロック好きの同級生はクリムゾンになんか興味なくて、しかも聴くジャンルはハードロック系オンリーだったので、話に広がりがなかった。
・そういうわけで当時、いろんなジャンルのレコードを貸し借りして共有するような知人はおらず、僕は近所の図書館で手当たり次第にCDを借りては聴いていた。1年で1000枚くらい聴いてたような気もする。
・その時のガイドは学校にあったロック名盤事典みたいなやつで、有名なバンドの曲は一通りざっと聴いた覚えがある。今でも印象が強烈なのはラッシュの「ヘミスフィア(神々の戦い)」かなあ。今でもうちにあるけど、たしか秋葉原の石丸電気で買ったんだ、あのアルバム。
・そういう流れがありつつ、その他にも片っ端から聴いてたので、主にYMO周辺を聴き始めたのも、たぶん当時。しかし、当時の僕には「一緒に音楽を聴く友達」というのがいなかった。大学でそういう友達ができるんだけど、高校まではいなかったなあ。
posted by LSTY | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
ボク個人の観察結果ですが「ズルムケ=モテる」、「ドーテー=モテない」では必ずしもないと思うんですよ。モテるから初体験が早いとは限らない。

女の子との間の敷居を越せるかどうかが重要で、モテなくても押して押して押しまくるのがヤンキーの強さなんですよ。「欲望」が「恥らい」に完勝している。

人との係わり合いが苦手な人はそれだけドーテーを煩わす可能性が高いんですな。ボクはそうでした。
Posted by 赤枕十庵 at 2011年07月07日 22:49
■赤枕十庵さん

>「欲望」が「恥らい」に完勝している。

 これは、ものすごく難しいですね。30過ぎないと難しい。30過ぎても難しいか。
 これ以上話すと性癖の話になるので自重しておこう…
Posted by LSTY at 2011年07月12日 14:36
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