2005年05月24日

「評論家」の役割と必要性

DOB_devil(byTakashiMurakami) 評論家というか、広い意味の「評者」について、少し気付いたこと。
 評者に求めるのは「おすすめ」であり、「良否の判断」ではない。
 最終的に良否を判断するのは自分であり、言い換えれば「評論家は『俺』一人で十分」。

 ではなぜ、自分以外の評者の意見を聞くのかと言えば、自分で全ての物を見、聴き、試すのには時間とお金がかかりすぎるから。

 「なんかお薦めがあったら教えてくださいよ」ということだけを求めているのだ。
 最終的に欲しい情報はそれで、お薦め度が星5つ中いくつなのか、その1〜5文字で本質的な評者の仕事は終わる。

 そこに至る経緯、つまりディテールの解説、評価、あるいは批判は、その1〜5文字に「付随する情報」でしかない。
 ここに、評論家の誤解があるのではないか。付随物に心血を注いで、結局星いくつなのよ?って評論が溢れている。

 ディテールの解説や批判は、その評者と自分の「フィーリングが合うか否か」をはかるための要素でしかない。
 「ああ、こういうこと言ってるのならこの人の評価と自分の好みはマッチするんじゃないか」とか「ああ、この人は過去のこの作品が嫌いなんだ、自分もそうだから信頼できるかも」、あるいは「うわ、あんな駄作のことほめてる。あてにならねえな」と。

 そういう風に、「好みのすりあわせ」を行うための要素が、コマゴマとした評論だ。
 だから、評者への評価が一定の場合は、本当に星5段階の評価だけで十分だと思う。

 評論家の仕事はもっと崇高なものだという人も多いだろうが、少なくとも私が日常的に求めている評論家の機能は「おすすめ屋さん」としてのそれであって、Amazonのレビュアーに期待する物とあまり違わない。

 ブログ上評論家というのもいるけど、やっぱり「自分にどんな機能が求められているのか」を正しく判断して、それに沿って物を書いたり、あるいはそれを意識的に裏切ってみる、というのは大事だと思います。 

(評論家と評者は、違う言葉だと思います。でも多くの評論家が日常こなしているのは評者としての仕事ではないか。書かせる側が求めてるのはこんな事だと。)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック