2014年02月24日

修善寺で毘沙門天像を見た。

Pop is dead.・伊豆・修善寺に行ってきた。
・以前行ったのは20年以上も前かと思うが、その頃は風呂だった「独鈷の湯(とっこのゆ)」が足湯になっていて驚いた。こういうのは軽薄短小化の波ってのかねえ、文化の破壊だと思うが、しかし確かに、以前の独鈷の湯は外から丸見えの公衆浴場だったので、あれをそのまま続けるのは難しかったのかとは思う。場所も狭いので、あそこにちゃんとした建物を作ることは無理だろうし。だけど、風呂として残して欲しかったなあ。

・温泉街は若干寂れ気味である。射的が多く、インチキ臭い民芸品店など。肉屋でパワーストーンを売ってたりする。遊歩道の整備の仕方などを見ると、若いカップル向けに観光開発を進めている印象を受けた。

・そういえば、ああいう駄目な感じの民芸品って多分、温泉ブームの時がピークだったんだろうけど、まだ根強く残ってるね。客も入ってる。買う人いるんだねえ。個人的には「ちゃんとした民芸品」を探す邪魔になるので、ああいうユルい物は置かないで欲しいんだけど、需要があるんだなあ。
・ただ、僕がここで言う「ちゃんとした民芸品」の中には戦後作られた「こけし的な置物」とかも含まれたりするので、正調の民芸品というわけではない。
・いわゆる正調の民芸品では、高知の「つればり人形」を集めているが、集めているったって2体しか持ってない。これはいわゆる「和印」に属するような物だと思うが、今はもう作られてないんじゃないのかな。四国に旅行した時に探しても、ほぼ見つからない。

・新しく出来ていた「筥湯(はこゆ)」に入る。300円だったか350円だったか。お湯は若干熱め。42.5℃と見た。熱いので親子連れの男の子がべそをかきながら入っている。かわいそうだが可愛い。

・「漱石の道」なる裏道を歩く。何もないブロック塀と民家に挟まれた道だが、夕刻の温泉街、こういう寂しい道を歩いていると何ともゆっくりした気持ちになって、歩みが遅くなる。老人のようにゆっくりと歩く。

・修善寺は山門を修復工事中。総工費1億円の勧進をしている。こういうのって、寄付を集めてから工事するんじゃなくて見切り発車で工事を始めちゃってからお金を集めるわけ?大胆だな。
・宝物館で秘仏・毘沙門天像開帳中という事だったので見ようと思ったら16時閉館。諦める。

・で、翌朝一番に出直して宝物館へ。
・一目見て「東寺の兜跋スタイルだ」と思う。兜を脱ぎ、腰をクイッと横に上げたスタイルは京都・東寺の兜跋毘沙門天(とばつ-)と同じだ。ただ、兜跋の場合、足下にいるのは地天女だが、ここの毘沙門は邪鬼を踏んでいる。そしてその邪鬼が大きい。
・鎌倉以降の作品かと思ったら平安期の作と書いてある。しかし、顔を見ると奈良時代っぽい。平安以降の洗練がない。昔、奈良・大安寺で見た仏像ってこんな感じじゃなかったかな。平安期じゃなくて奈良時代の作じゃないの?邪鬼が大きいのも、古い仏像の特徴のように思う。法隆寺の四天王が踏んでる邪鬼も大きめだった気がする。やっぱり平安じゃない気がするぞ。
・でもおかしいか。顔の作りは古いんだけど、確かにポージングはモダンなんだよね、飛鳥とか古い仏像だと「直立不動」が多い気がするけど、この毘沙門さんは腰にひねりが入ってて、セクシー醸し出してる感がある。

・「平安初期作の京都か奈良の仏像をこっちに運んできたのかな」と思ってたんだけど、違うかな。京都で兜跋毘沙門天像を見て来た仏師なりが、こっちに戻ってきてから作ったのかも知れないね。
・地方の仏像ってやっぱり出来が良くないわけですよ。やっぱり京都・奈良の仏師とはレベルが違う。そういう人が、京都で「腰ひねりセクシー兜跋」を見て「最近はこういうのが流行りか!」と思って、伊豆に戻ってきて真似して作ったんじゃないかと思う。
・ただやっぱりあんまり技術力は高くないんで、顔は奈良時代っぽいプリミティブな物になっちゃう、というような事だろう。と、勝手に解釈した。

・「修善寺物語」の元になったという面も展示されている。源頼家が、自身の腫れた顔を彫らせたという伝説は後付けだろうね。舞踊のための面だろう、たぶん。
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