2016年02月15日

演劇「国道・業火・背高泡立草」の感想

Pop is dead.・烏丸ストロークロック「国道・業火・背高泡立草」を見た。歌舞伎ばかり見ていたので、現代劇の方に少しシフトしようと思ったためだ。

・うちの奥さんは「見て、イヤな気分になった」と言っていたが、イヤな気分にするための芝居なので、まあ正当な評価かと思う。

・以下、いわゆる「ネタバレ」を含む記述になる。
・舞台は被差別部落である(正確には部落に隣接する町か)この部落出身の母子家庭の息子が、町に帰ってくるところから話が始まる。彼には子供の時に町の名士である自民党議員の息子からいじめられ、さらに山火事の放火の罪を着せられて母子共に部落を追放されたという過去がある。彼は大阪で商売に成功し、先だって母が死んだことをきっかけに町に帰ってきた。

・一幕目では主人公による暴力的な復讐が描かれる。彼をいじめていた議員の息子は交通事故で既に死んでおり、一度ははしごを外されたような格好になるが、一幕目の最後に主人公は放火の真犯人である元右翼の老人を絞殺する。
・この元右翼の男は主人公の母親の愛人であり、また主人公の恋人の父親でもあった。娘を奪われて激高した右翼は、その家に火を放ち、それは燃え広がったのだ。その時の回想があり、当時恋人であった右翼の娘にそそのかされて、主人公は老人を絞め殺す。右翼は既に老人であり、さらに寝たきりになっているので殺人は容易であった。

・ここまでが一幕目なのだけれど、山火事の回想シーンの動きや台詞回しが「いかにも小劇場演劇」な雰囲気で、懐かしさに思わず涙ぐんでしまった。

・二幕目は精神的・金銭的な復讐劇と言うべきか。町は選挙戦の最中で、先だって死んだ議員の娘が有力候補となっている。主人公はマルチ商法で成功し、多くの現金を持っている。彼はそれを資金として、部落の伝統的な木彫り人形(こけし)を売り出して一大産業にしよう、と議員の娘に持ちかける。それを条件に、彼女の選挙資金も出すのである。議員の娘は当選し、木彫り人形にも大規模な発注が来る。しかしその発注により生産されたのは、こともあろうか「電動こけし」であった!主人公は絶望し、自殺を図るが死にきれず、元恋人であった右翼の娘が彼を絞殺する。

・これが二幕目。だいぶ簡単に書いているけど、概ねこういう流れ。しかし、やっぱり電動こけしのくだりでポカーンとなる。もしかしたらああいうものは実際に被差別部落の小さな工場で作られていて、みたいな話なのかも知れない。知れないけど、あの流れでいきなり大量のローターが舞台上にばらまかれると、シリアスなドラマとしての軸がぐにゃっと曲がってしまう。
・被差別部落を描いた舞台としてディテール的に興味深い部分がいくつかあった。右翼、道路整備、町名の変更、部落出身の議員(これは野中広務がモデルの一人のようだ)部落独特の工芸品など。作品としてそこに焦点を当てているわけではないが、裏テーマとして非常に重要な部分を担っているように思えた。

・二幕目について「精神的・金銭的な復讐」というのは、この主人公がマルチ商法に大きな疑念を抱いているから。納得できない仕事で得た金を故郷につぎ込んで、廃村と化した部落を再生しよう、というのは侮辱的であり、また彼の優越感を満足させるための行動なのだと思う。きたない金の儲け方をして、そのきたない金を、恨みのある町に投下するという復讐。しかし、彼は部落の再生に対しては真面目に熱意を持って取り組んでいて、復讐としてはここに矛盾がある。単純な復讐であれば電動こけしで絶望はしないだろう。深読みをすると、かつて差別を受け、恨みのある町に金をばらまき「ほどこし」をする事による精神的復讐ということなのかも知れない。

・一幕目で、娘が元右翼の父親を殺したのは、彼が「自分を田舎に呪縛する存在」であった事と、主人公がその母の愛人であった父を殺すことで「一人前の男」になるという、典型的な「親殺し」の物語のためだったと思うが、二幕目で主人公を殺してしまうのは何故か。主人公が彼女と結婚して町を出ることを拒否(躊躇)したからなのだろうか?それだけの理由か?父親を殺して呪縛から解き放たれたはずなのに、元恋人である主人公が地場産業なんかに手を出して、彼女にとって田舎への「新たな呪縛」になったから殺したのか?
・現代劇というのは「理解できないように作る物」だと個人的に思っているけど、この芝居で一番分からないのは、ラストシーンにおける主人公の死であり、またそれが「イヤな気分」の元でもあろう。引っかかりがある演劇が良い演劇であるならば、この舞台も良いものなのだろうけれど、正直私も見て「イヤだな」と思ったので、個人的には良い印象は無い。
・好みの問題だが、人の死の描き方が「演劇的でない」というか、美しくないのだ。寝たきりの老人や、絶望して自殺を図るが死にきれない主人公が絞殺されるという描き方は、非常に「イヤな感じ」であり、数多くある「演劇中の死のシーン」の中でも観客の中で昇華されないようパターンになっている。悲劇における、主人公の「救いようのない死」というのはカタルシスを生むが、そうでもなくモヤモヤする。
・そういうわけで私はイヤな気分になったわけで「見なきゃ良かったかな」とすら思ったが、人生において「イヤな気分になる」ことは必要な刺激の一つでもあるように思うので、イヤな気分になりたい方は見ても良い芝居なのではあるまいか。

・国会議員の娘である議員候補をやった女優が良かった。シニカルにデフォルメされた女性候補の選挙演説。嘘くさい笑顔、流れるような意見の誘導など、実に「ありそう」で楽しい。
・大道具は凝ったもので、舞台は正方形。その周囲を橋のようになった回廊が囲んでいる。回廊には若干の起伏がある。正方形の舞台の二辺に座席が階段状に設営されており、舞台が客席で囲まれるような形になっている。
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