2016年12月07日

芝居の感想(くだんの件、第七舞台、柿喰う客)

Pop is dead.・「世間の評判」というのがあって、通常はその「世間」が広がれば広がるほど、どういうわけかアテにならなくなるものです。衆愚化と言うんですかね。しかしまあ信用度ゼロというわけではない。ある程度参考にはなる。

・しかし厄介なのが演劇、特に「小劇場演劇」に関する評判、口コミというものでして。なんか芝居見て来て「つまらなかったな」と思ってですね、Twitter検索したりすると「絶賛の嵐」なんですよね。まあ、けなしてる人、居ませんね。やっぱり演劇の世界というのは狭いというか閉鎖されているというか見に来てるのも「小劇場演劇が好きで好きで仕方がない人」たちの集団なんですかね。ちょっと引いて見てるって人が居ない。だから、小劇場演劇に関して言えば、口コミは全くアテにならないね。

・まず劇場が狭いから、観客が「参加してる!」って思い込んじゃうんだろうね、極論すると「自分の芝居」だと妄想してしまう。無名な劇団の公演なんて「ファンと内輪」が客の一定数を占めるっていう部分もあるだろうし、先に書いたとおり小劇場演劇を見に来る人のほとんどは「小劇場演劇好き好き病」にかかってたりするので、まあ否定的な感想は書きませんよね。

・くだんプロジェクトという集団の「くだんの件」という芝居を見てきたんだけど、これが僕に言わせれば「アングラもどき」で、見た後何も残らなかった。底の浅い夢オチだし、俳優の演技も決して上手いと言えるレベルではない。所々に挟まれるギャグも古典的すぎる。
・それだけなら「つまらなかった」で良いんだけど、芝居中、実際にピザ屋にデリバリーを頼むという「仕掛け」があるわけですよ。これが、私には不快だった。まず、電話口に出たピザ屋の受注担当者は「その対話が舞台上で、不特定多数に共有されている」ことを知らないわけです。そしてピザを宅配してくれた人を、ご丁寧に舞台の上に上げて商品を受け取り、お金を払うのだけど、こういう事が許されるのだろうか、と思いますね私は。
・やってる方は「舞台というフィクションと現実との交差だ!」みたいなつもりで面白いことをやってるつもりなんだろうけど、舞台と全く関係のない人をこういう形で引っ張り出して観客の目に晒すというのは、これは下品な行為だと思う。これが例えば観客を舞台に上げる、ということであればまだ分かるのだけど、全く無関係な人間を演劇空間に巻き込むというのは、ただの迷惑行為でしかない。

・その他、このところ見た作品への感想。キャラメルボックス「嵐になるまで待って」あまり面白いとは思えなかった。毒にも薬にもならないというか、子供っぽいおとぎ話、という感じに見えてしまった。
・東京サンシャインボーイズ「returns」の録画を見る機会があったが、これもひどく閉鎖的な芝居、いや「密室劇」というんじゃなくて、観客込みで世界の狭い芝居というか「大好きな人だけが見に来てる空間」という印象。プラチナチケットみたいになるような芝居において、それは必然なんだろうけど、ブログを検索して感想を読んでみても「内輪臭」たっぷりなものが多くてうんざりする。脚本も三谷作品の中では雑な部類に入ると思う。まあ余興的な公演ですね。

・そういった感じで、現代劇に関しては下鴨車窓の「漂着」以来、あまり面白いものを見ていない。「漂着」も見た当時はそんなに感銘を受けなかったけど、それ以来見た作品と比べると、ここ1年くらいではベストということになる。面白いつまらない以前に、よく分からなかったのが佐々木蔵之介主演の「マクベス」、あとテレビで見た野田秀樹「エッグ」は3回見てようやく内容がつかめる感じで「3回見てわかる」という難解さが「芝居」として適当なのか、疑問を持った。
・あー、平田オリザの「冒険王」も、面白い芝居だったけど一度見たきりではとても消化出来る内容ではなかったな。芝居というのは映画と違って、基本的には一回しか見ないものでしょう、そういった性格のコンテンツの難解度として、それは適当なのか?かなり疑問に感じるところ。

・あと日本と台湾の劇団による日本語・中国語を混ぜた芝居も見に行ったけど、字幕がゴチャゴチャで理解しにくいことこの上ない。ただでさえ理解するのが難しいのに二本立て(しかも出し物が「罪と罰」と「地下室の手記」だ!)もう頭の中がこんがらがってくるので、二幕目の途中で、失礼ながら抜け出た。「罪と罰」の豚の仮面を使った演出は分かりやすかったし、その豚を演じた役者が非常に達者だったんだけど、二カ国語の芝居を二幕見るのは(しかもドストエフスキーだ!)辛かった。
・だいたい、二カ国語で演じるのに、字幕が「日本語・中国語混在」で表示されるのだ。見にくいったらありゃしない。あれは字幕表示で芝居を殺した悪例だと思う。

・で、まあ以上に挙げた作品の感想を検索してみても、どの作品に対しても絶賛の嵐ですからね。何が面白く何がつまらないのか、自分で見に行かないと分からないものです。

・その後見たのが柿喰う客の「虚仮威」これは面白かった。一回見て全体が把握出来るサイズ感、さらに「考え続ける事の出来る」適度な難易度、下鴨車窓「漂着」と同じような現代劇としてのちょうど良さがあった。

・以下、大いにネタバレを含むメモ
・明治期、山の神が村を支配する世界→西洋の神の時代へ(ただし信仰対象はキリストではなく、サンタクロースなので、本質的な信仰の移り変わりではない)
・山で罪を犯すのは長男だが、罰を受けるのは三男。罪は個人のものではなく、家や村単位で罰を受けるということか
・次男、三男は性欲、食欲を象徴する存在で、サンタクロースが使う睡眠の魔力と合わせると三大欲求になる。
・明治期の近代化をなぞった芝居ではあるが、河童や座敷わらし、呪術、悪霊の人間へのとりつき(あやまち)や三男の輪廻転生など前時代的な伝承・伝説は最後までひっくり返されることがない(山の神信仰は「過去のもの」になるが、それ以外はほぼほったらかし)
・父親の描写は、家父長制や男尊女卑に対して抵抗を感じながらも、そのことが逆に自分の父への対抗心となり、結局父が理想とするような価値観を守る結果になる人、ということか。本人の意識とは相反して、血統や土地に縛られて近代化を成し遂げられない田舎の名主
・長男についてはよく分からない。自分の性の取り違えを知り、それを隠すために「虚仮威」のほらを吹いて東京に進出(あるいは逃亡)し、社会運動を経験する中で自分のジェンダーに肯定的な意識を持ち出したということか。
・少なくとも数年間、彼の欲望は真に「世界征服と家庭の幸せ」だったということで、つまり父性と母性の両立ということだが、サンタに望む物は「世界征服=父性・男性性」に寄っている。彼が最後に欲したのが女性の着物ではなく西洋風のドレスだったというのは、社会運動の影響で「近代に生きる女」としての自分を肯定したということか。
・長男の叫びによってサンタクロースがやって来たというのは、切実に助けを求めるものに手をさしのべるという単純な話なのか、あるいは他の意味があるのか。
・平成の女が、男にこの話をした真意は何か。男として生きることに対する「からかい」であり、また男が自分の話を信じるかという試験でもあるのか。また平成の男がこの話を信じたのは何故か。本当に信じたのか「この女を信じるしかない」という気持ちからか。後者であれば女の意図通りなのかも知れない。
・平成の男とその妻が、子供に閉じ込められるというのは単純なブラックジョークのような話なのか、ものすごく大風呂敷を広げると「世界を征服することが出来なかった近代日本の男社会」と「その上で家庭の幸せも築けない日本の男」という物に対する風刺か。それは大きく考えすぎか。
・役者に下手な人がおらず、またスピーディーながら追いかけやすい芝居だった。時間が100分と短めなのも良い。上演前に「この芝居は100分です」と言うのも良い。衣装も格好いいし、女性客が多いのも分かる。個人的には、座敷わらしを演じていた女優さんがボーイッシュで好みだった。

・こういうふうに、ある程度内容が覚えていられる位の量で、かつそれぞれに「何故だ?」と考えるヒッカカリが適度にある、というのが現代劇としては適当なのではないか、と思う。しかしあれですね、現代劇というのはヒッカカリが重要だと思って見た場合、月に何本も見るものではないですね。消化しきれない。
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