2018年01月31日

1月の歌舞伎感想(浅草・国立劇場・客の悪口)

Pop is dead.・東京で食べた物の記録はここに書いたので、芝居の感想を。
見た公演は、
1.新春浅草歌舞伎感想(1/20午後の部)
2.国立劇場「世界花小栗判官」(1/21)

・1月、新春浅草歌舞伎感想(1/20午後の部)
・種之助の「操り三番叟」今回はこれを目当てに来たのだが、まずまず。しかし今まで猿弥、右近(現・右團次)、染五郎(現・幸四郎)で見たけど、この踊りに関しては最初に見た翫雀(現・鴈治郎)の感動が一番大きかった。単純に初めて見た衝撃だったのかなぁ、とも思うが翫雀の時は「人形が踊ってる!」と感じた。それ以外は、人が踊っている。
・次が「引窓」なんでこんな演目を力量不足の若手公演でやるのか、と思ったが歌昇が良かった。悪く言えば地味な役者だが、真面目に演じているし、その地味さが、登場人物の「普通の人っぽさ」によくはまっている。継母に対する思いを爆発させる所など、結構でした。
・米吉は可愛いけど、夫の出世を喜んではしゃぐシーンにイラッとする。つまり可愛さだけで愛嬌や情愛を感じないからイラッとするんだと思う。松也は主役だけど歌昇の熱演に完全に食われた感じ。
・最後が「京人形」京人形の精が新悟。この人、鼻が大きいので女形としてはルックス的に大きな欠陥があると思ってたんだけど、妙な気品があって良い。これは数年前「鰯売恋曳網」に出てきた時にも思った。

・続いて国立劇場「小栗判官(世界花小栗判官)」の感想(1/21)
・菊五郎劇団の正月公演は恒例化しているが、菊五郎のギャグセンスで変なシーンを挿入してダダすべりするのも恒例のため、あまり行っていない。しかし今回はよく知られた時代物で、変にふざけることもなかろう、と予想して切符購入。しかし国立はチケット廉いねえ。
・小栗判官は猿之助(現・猿翁)の「オグリ」しか見たことなかったけど、今回の構成で「説教節発祥」というのがよく理解できたのが良かった。相当駆け足で、特に大詰なんかあっけなかったけど、まあ満足
・懸念していたオフザケシーンも、ギャグセンスの良い片岡亀蔵がうまく処理。橘太郎はやり過ぎ感あったけど、芝居を壊すほどではなく、ちゃんと成立してた。
・あと梅枝が熱演してて非常に良かった。小栗判官と出会い、恋をして結婚するという幸せの絶頂から、照手姫が現れてからの嫉妬、失意。身分の差もある小栗とは結婚できないと内心では諦念しつつも、必死でそれにあらがおうとする葛藤。そういう演技がしっかりと板についている。20〜30歳くらいの若手役者の中では、梅枝は頭一つ抜けている印象がある。
・さて今回の芝居における最大の不満は「客」であった。役者が出てくるたびに拍手が起きる「吉本新喜劇スタイル」はもう日常化してしまったが、今回はそれ以外でもひどすぎた。悲劇のクライマックスで客が笑う笑う。小栗と照手姫が再会するシーンで客が笑う。なんだこいつらバカなのか?と思ったが、恐らく照手の台詞「会いたかった、会いたかった…」をAKB48のパロディだとでも思ったのだろう。いずれにせよ大馬鹿客だらけである。これはさあ、歌舞伎界、松竹が拝金主義に走り、とにかく客が入れば良いとお気楽エンタメ路線を続けてきた結果でしょう。むやみに敷居を下げるから馬鹿客が増えるのだ。

・しかし人間の資質として、芝居を見ていてああも安易に笑うというのはいかがなものかと思う。「ここで笑ったら恥ずかしいのではないか?間違ってるんじゃないか?」という意識が少しでもないものかね。「どうもここは感動的なシーンなのではないか?」と1mmも思わないのかね。一人や二人ではなく、劇場全体の客が笑うというのは、これはどういうことなのかね。

・そういえば1/20の浅草歌舞伎は「着物で歌舞伎の日」だった。客の9割以上が着物。「この日は『着物で歌舞伎』の日です」と言われて、素直に着物を着ていくという神経は、私にはどうも理解しがたい。
・それ以前に、私はもともと着物で歌舞伎に来る客があまり好きではない。正月公演では特に。「せっかく正月に歌舞伎に行くんだから特別に」着物を着ていく、というのは貧乏くさいではないですか。もちろん普段から着物を着ている人であれば文句はないのだけど、一年に正月一度しか歌舞伎を見に来ない客が着物を着て「やっぱり日本人だからね!」なんて言ってる光景は、やはりこれは文化的貧困の典型例のように思えてしまうわけです。
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