2019年03月26日

マウントされない人生なんて。

Pop is dead.・強く美しい意志を持って人生を生きる人というのが居る。たとえば「我々は絶えず選択を強いられている。しかし最終的に、それらの選択こそが私自身を形作るのだ」という座右の銘を持って日々を生きているような人が居る。
・そういう人を美しいと思い、憧れ尊敬するものの、なかなかそう生きられないのが、私のような並の怠惰な人間である。

・しかし私のようにダラダラ生きている人間から見ても、最近の一般的な若者の生き方というのは「お前、それでいいと思ってるのか?」という感じだったりする。

・田舎に住んでるからという理由もあるんだろうけど、世間のことをあまりに知らないし、知ろうという欲求もない人が多いような気がする。「最近の若者」と書いたけど、私と同年代の人でも、この手の人間が非常に多い。若者とかは関係ないか。

・なんか話してても、驚くほどものを知らないし、吸収しようという気持ちもない。あんまり言うと「上から目線」と思われて嫌われるだけなので、こっちもあまりちゃんと関わり合わないようにする。

・そうだよ、「上から目線」という言葉!この言葉こそが、最近の人間をどんどんダメにしてるんだよ。
・あと「マウント」という言葉を否定的に使うのも、あれは問題だよ。

・上から目線の人間にマウント取られない人生なんて、ただの停滞じゃねえか。どこで成長するんだよ。

・先述したような座右の銘を持って、めちゃくちゃ意識高く生きている人ならともかく、我々のようにダラダラ人生にどっぷりつかってる人間にとって「上から目線」と「マウント」こそが、数少ない成長の機会ではありますまいか。
・そういうわけで、昨今の「上から目線」や「マウント」を否定する風潮というのは、ダメ人間の成長機会を奪い、もっとダメにするためのユダヤの陰謀だと思っています。

・で、僕はこういう感じの人間なのですごく誤解されがちなんですが、相手が自分より優れた人(※)だと認識すると、意外とその人の意見を素直に聞くところがあり、そのおかげで知ったことや経験できたことが割とあります。そういうのが人生の財産だったりするわけですよ。
※もちろん「ある分野限定」とかでも。

・私は如何にして嫌悪するのを止めて「マウント」を愛するようになったか。やっぱり高校生の頃に出会った伊丹十三のエッセイの影響だろうと思いますなあ。伊丹十三の書いたものは徹頭徹尾、イヤミで上から目線でありまして、しかし新しいことを色々教えてくれた。ここら辺の感動を経て、私は「上から目線」を許容するようになったわけですな。

posted by LSTY | Comment(4) | 愚にもつかぬ事 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
とりあえずご紹介の本をAmazonで注文しました。
Twitter停止残念です。
Posted by obacan at 2019年03月26日 12:44
■obacanさま
 おお、お久しぶりです。

 Twitterはただの電話帳みたいなものでした。
 連絡取りたい人については電話番号かメールアドレスを知ってるし、同行者A氏ともLINE交換したし、そうなると別にアカウント要らないなあ、と。
Posted by LSTY at 2019年03月26日 13:00
I agree !

(ですね)
Posted by charimo at 2019年03月29日 09:29
■charimoさま
 これについては以前からずっと思っていたことです。
 でもこういう事を書くと、SNSでは嫌われるんですよねー。
 だったらSNSなんかいらねえ!という気分です。
Posted by LSTY at 2019年03月29日 16:48
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