2019年06月11日

自分ではどうにもならない部分が、自分の面白さなのかも知れない。

Pop is dead.・ブログを始めてから、たまに評価をしてもらうことがあって、頂く事が多いのは「視点が独自」という言葉
・斜めに考えると「視点が独自」というのは「容姿が個性的」同様、実はけなし言葉である可能性もあるのだが、とりあえず今回はそこをほじくらない。

・ブログだけでなく、リアルな古い友人からも「考え方が面白い」と言われたりする。
・そういえば昔の彼女に「頭がやばい」と言われたことがあって、それは「頭が良すぎて何を考えてるのかわからない」という最大限の賛辞かと思っていたのだけれど、真意は「頭がハゲそうでやばい」なのだった。そして実際、ハゲた。

・また横道にそれたけれど、Web上であれリアルであれ、考え方が常人と違うから面白いと評価してもらうことが多いのだけれど、ここがどうも僕自身にはよく分からない。

・数年前からブログ名にしている「啓蒙かまとと新聞」と言う言葉は、カネテツの「啓蒙かまぼこ新聞」のもじりだが、その意味は「かまぼこはとと(魚)から出来ているというような『当たり前のこと』を、さも啓蒙活動をするかのように『偉そうに書く』ブログ」というようなものである。
・つまりここに書いていることは僕にとっては「当たり前のこと」であって、別に独自の視点で世の中を見てみよう、というような構えた気持ちはない。

・僕の物の考え方というのは、だいたい高校生頃から変わっていないように思う。大学生の頃は、友人から「人格が完成しちゃってる」とか言われていたし。
・だからもう30年くらい、同じような物の見方で世界を見ている。僕にとってはそれが「当たり前のこと」なので、そのどこが「独自」なのかについては、ほとんど全くわからない。

・つまり自分ではどこが面白いか全くわからない部分を、周囲に面白がってもらっているわけだ。が、こういう状態では「ここをもっと工夫すれば、このブログがもっと面白くなる」というようなツボがわからないわけです。
・みんなそうなんだろうか。

・そう考えてみると確かに、自分が面白いという方向に表現を引っ張っていって、無理してスベっているようなブログっていうのが散見される。
・そういうのっていうのは結局「自分の面白さ」を取り違えているのではないか。他人から見て面白い「自分の面白さ」と、自分が面白いと思っている「自分の面白さ」にギャップがあるからスベるのではないか(※1)

・そう考えると、別に意識せずに自分が書きたいように書いた方が、他者から見ると面白いアウトプットになるのかも知れない。
・自分の面白さなんて自分にはわからないし、それをコントロールも出来ない。でも、そここそが自分の持っている面白さなのではないか。そんな事を考えました。おわり

※1:実際「その人自身が全く面白くない」という可能性も否定できないのだが。

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