■パクリと個性について・訳知り顔で「世の中に完全なオリジナルなど存在しない」なんて言う気はないのだけれど、それ以前に、僕は文章を書くに当たって「オリジナルな文章を書こう」なんて意識したことがない。
・しかし、「あからさまにパクリな文章」という物を、私は嫌う。例えば2ちゃん語をちりばめた、生徒・学生による文章が嫌いだ。
・結局個性なんて言う物は「パクる引き出しの多少」によって決まるような物なのではないかと思う。
・2ちゃん語でしか文章が書けない人というのはつまり、引き出しを一つしか持っていないわけです。ギャル語もしかり。
・ああそういえば、ギャルとおたくは似たような物だという、とても面白い記事がありました。このブログには、生理的に受け付けない部分があるものの、読んでいると意外と面白いので、たまに我慢して読んでいます。
・話がそれましたが、結局個性なんていうのは、個性としてしっかりと存在するような物ではなくて「引き出しがたくさんあることで、あたかも多面的であるかに見える自分」なんていう、とてもいい加減な物だと思うのですよ。
・だから、個性のある文章を書きたいんだったら、まず色々なタイプの文章を読むことからだと思うのです。
■腹の立つこと
・蕎麦打ち入門で、茹で上がった蕎麦を前に、あーだこうだと「放送用」のセリフを言う佐藤正宏。
・蕎麦がのびるだろう。
・こういうのを見ているとイライラが頂点に達する。できあがった料理をすぐに食べない人間ほど、腹立たしい物はない。
■記憶とは、忘れてこそ身に付く物
・内田百間(ひゃっけん)先生の「覚えたことを忘れて初めて、その覚えたことが身に付くのである」という素晴らしい考え方は、ちくま文庫「間抜けの実在に関する文献」の「忘却論」、および同文庫「百鬼園先生言行録」の「忘却」で読める。
・後者は東北大学での講演記録であり、口語に近いためそちらの方が読みやすい。
・百間先生の考え方は、現代にあっても大変エキセントリックだが、しかし過激ではなく、とても優しい。
・百間先生の「けん」は、門の中に月と書くが、文字化けを起こすので「間」の字を当てた。
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■メモ
・小三治師匠の落語「宗論」で、「仏式の結婚式はしっくり来ない」という発言
・結婚式=神様、葬式=仏様
・命の始まりは神様で、命の終わりには仏様。
・日本の宗教は、そういう風に市場をシェアし合って存続してきたと言うことか。
・否定は自信、肯定は不安
・橋本治によると、女は存在・生き方ともに娯楽である。
・しかし今日では、男も娯楽になりつつある。これ福祉のなせる業であろうと思う。

やあ それは引き出しのたくさんあるジョニー・デップと
でっかい引き出しが1個だけある筧利夫のどっちを
「個性的」と呼ぶかということですかね違いますかね
世間に通用するほどの「でっかい引き出し」というのは、一つの才能ですよね。それを持たない我々凡人としては、ただひたすら引き出しを増やすしかないのかな、と。