2008年06月02日

蜷川幸雄演出「藪原検校」を見た

藪原検校 井上ひさし作、蜷川幸雄演出「藪原検校」を見た。

 いきなり身も蓋もないことを言ってしまうと、この芝居は「不知火検校」だ。で、不知火〜の方が面白いので、そっちのDVD買って見た方が良いです。

 貧しい盲人が悪の限りを尽くして金の力で権力を手に入れるという話で、もともとは宇野信夫の歌舞伎「沖津波闇不知火」が下敷きになっているらしい。読みはたぶん「おきつなみ やみのしらぬい」だろう。
 この主人公である不知火検校(杉の市)を、映画では勝新太郎が好演している。障害者のコンプレックスや、執着心・残忍さや小ずるさを非常によく表現していて、僕は「座頭市」よりもこっちのほうが勝新の名仕事だと思います。売れる前だから真面目に演技してるし。

 で、それを井上ひさしが書き直したのが「藪原検校」という事なわけですが、大筋は同じです。大きく違うのは塙保己一(はなわほきいち)という実在した人物との絡み、親殺しのくだりあたりか。
 「不知火検校」では、杉の市は徹底的に悪役として描かれる。同情の余地がない悪者。家でこの映画を見ている時、うちの嫁が何度も「イヤなやつだねー」と本気で言っていた、それくらい嫌な役なんです。とんでもねえ野郎なわけです。
 それが「藪原検校」では違うんですね。悪い奴なんだけど、まあそれには理由があるんだよ、というような甘い描き方になっている。ここが井上ひさし的というか新劇的というか。しかしそうしちゃうと、この話はつまらないのですね、ただの「人間ドラマ」になってしまう。
 見ている側としては、悪者の心理的背景とかどうでもいいわけでしょう、ただ見てて「悪い奴だなー」と思う、それが芝居の楽しみなわけですよ。歌舞伎だってシェイクスピアだってそういう描き方をする。

 しかし新劇というのは違うんですね、そこに理由を付けるんです。「この人は悪いことをしているけど、それはこういう幼児体験や時代背景のせいなんですよ」なんていうのはさ、作家や演出家の自己満足に過ぎないと思うんですよ。貧乏性なんですね、役の性格に合理性を持たせようとする。それがリアリズムなんだと。
 確か淀川長治が「リアリズムなんて貧乏くさい」と言ってましたが、そうなんです。貧乏くさいというかさもしい感じがしますね。

 配役については、まず古田新太がいけない。だいいち、あの体系で悪役を演じるのは難しいと思うので配役ミスなんじゃないかと思う。まあそれは置いておいても、台詞回しが実に悪い。
 なんというか「良い声」を出すんですね、よーし、今オレ、良い台詞しゃべってんぞー!という意識丸出しの声の張り方をする。これがたまらなく格好悪い。杉の市の小ずるさも表現できていない。
 田中裕子は良かった。ただ出番が中途半端でいかしきれていない。段田安則は良い。手堅い芝居。

 あとひどかったのが歌。芝居の前半に何か所か歌がある。この歌がどれも長すぎるのだ。無駄に長い。本当にうんざりするほど長い。しかも別に良い歌でもない。
 音楽に関して言えば、随所に挿入されるギター演奏は面白かった。ギターで津軽三味線風の演奏をしたり、逆に言えば音楽はギターだけで良かった。歌は全部カットすればいいのに。
 あと、杉の市による洒落歌、早歌のシーンはなかなか見所。たいして面白くもないしこれも長すぎるが、伝承芸能の再現という意味で面白かった。

 良かったのはギターと早歌、あとラストの三段切りは良いかな。
 井上ひさし作品としては、先日見た「天保十二年のシェイクスピア」の方がおすすめ。
 しかし井上ひさしってもっと良い戯曲をたくさん書いてると思うんだけど、残念なことにDVDは全然出てない。書店の文庫のコーナー見ても井上ひさしってほとんど並んでない。特に創作が並んでないんですね、やはり売れないんですかね。

不知火検校
不知火檢校
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