久しぶりに休みをとって一日ブラブラしていたのだけれど、ちょっと驚いた事がある。「自分一人で、酒も飲まずなんとなく時間を過ごす」事が、ものすごく苦痛になっている。たしか中島らもが「知性とは、いかに自分一人で時間を過ごせるかだ」てな事を書いていたのだけれど、今の僕にはそういう物が欠如している。これは能力の減退だ!減退はいかん!
そうだ、ヒマを過ごす能力が無くなってるんだね。これはインターネットのせいだとも思うなあ。
最近、村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」を読み返してるんだけど、これはこれで面白い。村上龍で言えば「料理小説集」なんかは、ほとんどセックスと食べ物に関する短編小説ばかりで、これも好きな本。
そういえば、僕の「女の子と食事に行きたい」という願望は、村上龍に随分影響されているように思う。「料理小説集」には、女と食事に行くシーンがたくさん描かれているし、彼の「オーディション」に出てくるシーン、主人公が恋人と小料理屋に行くシーンなんていうのも印象的だ。あれはカウンター席の懐石料理屋だったか。
暇だから、冷凍庫に残っていたシーフードミックス(賞味期限切れ)を使ってカレーを作っていた。野菜は玉ねぎだけ。その代わり、市販の野菜ジュースを入れる。シーフードミックスは、マルサラ酒と水で下ゆでしておいた。そんな物を作りながら思うことは「最近、女遊びにも飽きてきたなあ」という事であって、飽きてきたというより、自分自身のモードが「女モード」から「枯れモード」に変わってきたのかも知れない。
若い子と飲みにいくって事が目的であれば、別に一対一じゃなくても、会社の同僚と飲みにいけばいいしなあ、とか思うようになってきた。
夜ヒマだからってキャバクラに行くより、カレー作ったり鶏ガラスープ取ったりしてたほうが楽しかろうし、生産的だし、金だってかからない。
キャバクラの女の子と飲みにいくのは楽しいんだ。バーに行って、酒の話をしながら酒を飲む、というのは楽しい。僕はそういう時間は有意義だと思うわけです。
しかし、そこから店に行かなきゃあいけないわけですよ。これが苦痛になってきた、1時間なり1時間半なり、廉いウィスキーや発泡酒を飲んで過ごすのが、もう堪らなくなってきたのね。あと、キャバクラの商売ってのは基本的に非常に直線的で、何回同伴するか、客に何本酒を開けさせるか、何分延長させるか、という単純な数字を追求する。その仕組みが分かってしまうと、そこには情緒も何もないわけで。
そこに疑似恋愛の線ってのがあれば、まだ行けるのかも知れないけど、干支一回りも違う歳の女の子に、そこまで「俺を騙してくれ」ってのも無理な話なのかなあ、と思う。
そんな事よりしばらくは、ヒマを生きる鍛錬をしようか、などと考える。
↓つか、えーっっ!絶版?!
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