2020年03月27日

罪深い夫が、妻を思い涙する歌たち

Pop is dead.
 僕はいまのところ「まあまあ良い夫」っぽい僕として生きてる。
 でもそうじゃないんだよ、本当は。罪を犯し続けている。これはまさに「言わなくていいこと」なんだけど。
 僕は僕の罪を認識している。だから、たまに奥さんに申し訳なくなって涙を流すことだってある。
 特に「この歌を聴くと、奥さんの愛情と、自分の罪の意識が高まって涙腺が刺激される」という曲があるので、紹介

■クラムボン「コントラスト」


■ハナレグミ「おあいこ」


■ピチカートV「悲しい歌」


 最近おしえてもらったこの曲も、身につまされる。

■カネコアヤノ「明け方」
 ( YouTube にオーソライズされた動画がなかったので御免なさい )
 明け方 - カネコアヤノ
[iTunes]明け方 - カネコアヤノ


 罪を犯しながらも、私は奥さんの事を愛している。ただ、それによって免罪されるとは思っていない。

2020年03月21日

自分が生きる意味とその使命について、今まで考えたことなかった。

Pop is dead.
 ずいぶん昔に「死にたい」と思うことがあって、それ以来(いや、その前からだけど)「人間が生きる意味」なんてないように思ってきた。
 生まれて、それこそ「死ぬまでの暇潰し」をして死ぬだけだと。その間に「種の保存・維持」のために出産や育児・教育があるとしても「人生の意味」というものを、僕自身は認めていなかった。

 だから「自分が生きる意味・使命」みたいな事については考えなかったし、そういう事に関して軽々に語る人たちを信用していなかった。というかむしろ軽蔑していた。

 ただそういう醒めた考えをしながら例外はあった。公にはしていないけれど、僕には16年間に渡って書き続けているブログがある(このブログの事だよ!)
 毎月のアクセス数が40,000PV内外、ユニークユーザ数が2,000人程度なので、大したものではない。大したものではないが、読んでくれている人が居る。

 そういう中で「Webを検索しても出てこない情報」を、ブログなり静的な場所(※)に保存しておくことは、自分、というよりブロガーとしての使命だと考えて、ブログを書き続けてきた。
 つまり「自分は理解しているけど、世間一般の人は知らないような情報に関して説明する」ということを、わりと強めの使命感をもって続けてきたつもり。
※Twitter等のSNSのように、新しい情報がどんどん流れてきて、古いものはすぐに忘れ去られる「動的な場所」の対義語として。

 「自分が理解していることを、いちいち他人に説明する」って面倒くさい。しかし、知的資源を持っている人間がそれをやらなくなると、文化っていうのは滅びる。
 はっきり言って「頭が良くて、知識豊富な人」の大半は『ケチ』だ。

 なんでだろう?

 いくつかパターンがあるんだけど、一番多いのは「自分さえよければいい」と考えている人だと思う。知的資源の豊かな人は(芸術家等を除いて)その資産によって優良な就職先に勤め、あるいはそういった企業を経営し、不自由なく暮らしている。
 そういう中で「は?なんで金にもならないのに、俺が知ってる情報を共有しないといけないの?」という感覚は普通だ。だいいち面倒くさいし、その上「知っている人しか知らない情報」を共有するという事は日本の「階級社会(自分にとって有利な社会)」を崩壊させることにもつながる、いわば「損しかしない行為」だ。

 僕には「無駄な義憤心」みたいなのが昔からあって、彼らのケチっぷりが許せなかったこともあり、佐藤優の著書を読み乍ら、現状の階級社会の維持に抵抗するために「階級社会」つまり「資本主義的社会」を超えた世界について興味を深めていった。

 その中で、今一番尊敬しているのは町山智浩さんであり、富田正樹牧師である(佐藤優も尊敬してるけど、本を出し過ぎ!)

 町山さんは、旧来の「曖昧で主観的な映画評論」を否定し、素人にも分かりやすく過去の名作映画について解説してくれている(YouTubeに多数動画あり)
 「過去の名作=古典」になんか興味がない、という人はそれで良いよ。なにも理解しないで人生を終えるというのも選択肢の一つだ。

 富田牧師はキリスト教という「日本人」特に「現代に生きる日本人」にとっては理解しがたい聖書(主に新約聖書)について熱心に研究され、現代=科学的に進歩した社会で、それらをどう解釈すべきか、教会に集まる人に説いている(これもYouTubeに多数動画あり)
 日本基督教団という大きな組織に入っていながら、おそらくその中でも煙たがられるような(笑)聖書解釈を、信者と共有し、その上で彼らと議論もしている。

 尊敬すべき点をザクッと言うと、

 町山さんは「自分は知ってるけど一般的には知られていない事」をめんどくさがらずに大衆に説明してくれる部分

 富田さんは「現代では理解しがたい聖書の内容」についてできる限り科学的に説明・共有し、信者と議論もする部分

 こういった事は、常人には出来ない、誠に尊ぶべき事だと思う。

 上記の二人乃至三人に共通するのは「資本(知的資本)の共有(分配)を実践している」ということだ。で、よく分かっておいて欲しいのは「共有」ってのは「そもそも知ってる人」からすれば、相当にめんどくさいことだ、ということ

 「経済的資本の共有(分配)」がめんどくさいというのは、つまり貧乏な人にお金を上げるってことで、それがしんどいってのは大体誰にでも分かる。でも「知的資本の分配」となると「減るもんじゃなし」と思ってはいないだろうか?
 確かに知識は減らないよ。でも共有のためにかかる時間は?研究し、話をまとめ、原稿を書き、信者の前で話す。信者がどんなトンチンカンな質問をしても、最後まで聞き、真摯に答える。
 他人のために時間を割くというのは、場合によってはお金を払うよりもしんどかったりするものなのだ。

 で、上記の人たちはそれを厭わず、貴重な時間を割いて「知的資本による格差」という「階級社会」にかかわる問題を是正しようとしている。

 こういう人たちこそ、尊敬すべき人間だと思う。

 実は先日、富田牧師にお会いする機会が与えられ、直接、お話しすることが出来た。
 そこで僕は「この人のように生きたい」と、結構マジメに考えた。それは直接「キリスト教徒になりたい」という事ではない。
 「他者を受け入れ、そのためには自分が恥と思うようなこともオープンに話す誠実な人」だと思ったから。

 まあ僕はなんだかんだ言って、自分の父親の事は嫌いではなかったし「あーゆー風に生きるのもアリかなー」と思ってたんだけど、今回、富田牧師と会って結構明確に「この人のように生きたい」と感じた。

 私自身はクリスチャンではないし、特に洗礼を受けたいとも考えていない。ただいわゆる「Something Great」という「神のような何か」は存在しているのかもしれない、と思うし、そう思った方が人生を送るうえで多少なりとも救いがあるようには感じている。
 つまり「隠れて悪いことをやっていても、神様は見ている」反対に「自分の苦労や悩む姿を、神様は見てくださっている」という感覚は、生きてゆく上での安心感につながると思う(一国の宰相がモラルを放棄して居直っているような、今の日本では特にそうだと感じる)
 また一方で「キリストは死なず、今も十字架にかけられたままで、我々が犯す罪のために苦しんでおられる」と思うことは、今の日本における罪悪感の希薄化に対する歯止めになるだろう。

 そんな感じで、新約聖書にわりと傾倒している所為もあり「富田牧師のように生きることが出来たら」と思うのだった。

 だから、今まで持っていた「自分の使命」に加えて、今まで半ば馬鹿にしていた「生きる意味」について、今は肯定的に受け止めている、という話です。

※この記事はfacebookに投稿したものを元に構成を若干変更し、加筆・修正したものです。

 
(出版の順序は、資本論→階級論だけど、読む際には階級論→資本論の順の方が分かりやすいかも。水曜どうでしょう@四国における「逆打ツ」ってやつですね)
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2020年03月20日

言わなくていいこと沢山あるね

Pop is dead.
・以前も紹介したかもしれないけど、この人のブログのファンである。

すぐに忘れちゃいけない - ここだけの話

・今のところ「僕はこのブロガーのファンだ」と言えるのは、このid:siotan-nuさんと、わなびねこさんの二人位だ。もちろん他にも魅力的なブロガーは何人もいるが、この二人の書いたものに関しては信頼できる。
・つまり「自己演出」してないんだよね。自分の本音を、自分の心のなるべく奥底から引き出して文章にしている。

・加えて、siotan-nuさんのブログは特殊だ。実際の彼女は20代前半だろうけど、それくらいの年齢の女性って「社会性の塊」みたいになって、本音を話さないし、もちろんブログにも書かない。そのような年代の女性でいながらあそこまでオープンで、かつ美しい文章が打てるインテリジェントな人はごく少数だと思う。

・僕もこのブログでは変に「自己演出」はしてないけど彼女らほど誠実でもない。つまり思った事を書いているだけで、それによって「自分と向き合う」という事はしていない。

・特にツイキャス( TwitCasting)なんかで雑談してるのとか、あんなの「自己演出一色」みたいなものですよ。嘘はつかないけど「このエピソードをどうやってネタ化するか」みたいな邪な考えにまみれて喋ってる。

・で、上記の記事を読んで、カネコアヤノという人の「明け方」という曲を買った。

・ここで少しだけ視聴できるけれど、このバージョンではなく「燦々 ひとりでに」に収録されている弾き語りの方が、いい。
・ただそれは少なくともAmazonでは試聴できない。某動画サイトで「カネコアヤノ 明け方」で検索するなり、うまくやってくれ。
・で、Amazonでは入手困難だけど、iTMSでは一曲から買える。もう一度「燦々 ひとりでに」に入ってるのが弾き語りだからね。

・聴いていていきなり、既婚中年男性にとってグサッと来るんだけど、その後に「言わなくていいこと沢山あるね」と続く。

・言わなくていこと、言うべきではないこと、確かに沢山ある。僕は単細胞なのでそういうことをあまり気にせず「正直に思った事をそのまま言う=誠実」で、それが正義だと思い込んでいる節がある。

・昔、ある女の子から「私たち、それぞれの事をもっと知って、お互いの事をもっともっと理解できるかな?」と訊かれたとき、僕は一言「他人同士が、完全に相互理解するなんて無理だよ」と、思っていた真理を正直に彼女に突き付けてしまった。

・のち、とあるブログに僕はこういう文章を書いた。
「いやな予感」というものがある。例えば、熱烈に愛し合っていた男女の、心のほころびというものは突然やって来はしない。二人の間のすべてがうまく行っている途中で、何か「これはおかしいな」という、ある瞬間があるものだ。
[当該ブログは削除済みの為、現在閲覧不可]
・僕が「正直=誠実」だと思い込んで彼女に投げつけたあの言葉は、まさに「言わなくていいこと」だったし、あの言葉を発したその時が、引用文の中の「ある瞬間」だった。

・それまでも、それからも、僕は「正直=誠実」だという、もっともらしい理屈を盾にして、どれだけ「言わなくていいこと」を言ってきたことか。そしてその暴力的な言葉で、どれだけの人を傷つけてきたのか。
・一方では、このブログなんかを読んで「あの人は正直に率直な意見を書くから信頼できる」と思ってくれる人もいる。

・僕には「(ブログには)何を書いても誰かを不快にしたり、傷付けたりする可能性がある」と思っているので、このブログでは思った事を書き続けるだろう。
・ただし、実際のコミュニケーション、特に大切な人との一対一の対話では「正直が一番」という妄信を棄てなければいけない。50近くになって気付くようなことではないのだけれど。ほんと俺、まだまだ青二才だなあ。
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LSTYの本棚探訪(もいっちょ追加)

Pop is dead.
(2019/10/15に公開。2020/03/19にさらに動画を追加しましたので、トップに持ってきました)

・本棚をさらす、というのは己の愚かさを暴露してしまう事でもあるが、その人となりを知ってもらう良機会であろうと思う。
・というわけで、暇にかまけて家中の本棚を撮影して回った。
(酔って変なこと言ってたりしますがすいません。なんで清水アキラがバッハ弾くんだよ!とか、持ってる和漢三才図会は3冊じゃなくて4冊だろ、スペインの宗教裁判か!とか)

pt.1 いきなり秘密基地!



pt2. 寝室



pt3. 廊下
その一


その二


pt.4 謎の棚


pt.5 書斎のDVD


pt.6 書斎のCD 四段目


pt.7 書斎のCD 五段目


pt.8-9 書斎のCD 三段目
その一


その二


書斎のCDは、三段目まで行ったので、ここまで来たら最上段まで到達するぞ(スパルタンXか!)

他にもあるので、ツイキャスもよろしくねー!→LSTYのアレ
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2020年03月16日

facebookのセクシャリティ表明欄、ちょっと不寛容過ぎないか?

Pop is dead.
 御存知の方はご存知でしょうし、御存知ない方はご存じないでしょうが、私、本名でfacebookをやっております(本名を御存知ならすぐに見つかるはずです)
 で、数年前に「みんな上っ面の事ばっかり書きやがって!ちっとも面白くねえじゃねえか!ブログと匿名SNSでしか、本音のコミュニケーションは取れないよ!」と感じてアカウントを凍結しました。
(敢えて削除せずに凍結したのは、なりすましに悪用される懸念があったから)

 しかし去年になって、考え方がコペルニクス的転回を遂げまして「もうWebはダメだ!リアルだリアル!」と考えるようになりました。
 具体的な理由はこちらの記事に書いています→僕の鬱の要因とインターネット

 そんなこんなで、7年ぶりくらいにfacebookを解凍したわけですよ。
 で、以前も感じていた不満に改めて気付いたので、ここに書いておきます。

 で、あのさー、facebookの「基本データ」欄に何にも書いてない奴ってなんなの?同姓同名の人と比べる時にどうせいっちゅうんじゃ!(駄洒落です)本人と同定できないfacebookページって存在意義、ほとんどなくないか?と感じるのです。
 せめて学歴と職歴ぐらい書こうよ、特段隠したい理由がなければ。
 僕は律儀な方なので、敢えて隠しておきたい(リアル知人や同僚に見られると不都合な)情報以外はほぼ全てオープンにしているのです。信仰や政治観という、普通の人はあまり公開しない情報も含めて。

 しかし一か所だけ「これ、どうしても埋められないなあ」という欄があって、これにはホトホト困り果てているというか、facebookのテンプレート設計ミスとしか思えない。

 それが「恋愛対象」の欄です。

 これはチェックボックスになっていて「男性」か「女性」あるいは「その両方」を選ぶことが出来る。

 逆の言い方をすると「セクシャリティに関して、3つの選択肢しか提示していない」という、これはあまりに不寛容ではないか?
 人の性的嗜好や恋愛対象って、3種類に分けられる程、単純なものではないでしょう。

 今ここに、僕の性的嗜好と恋愛対象について書ける範囲で書いておくと、

1.基本的にはヘテロセクシャルで、女性と既婚

2.ゲイに対する嫌悪感は一切ないが、経験上からも「男と恋愛する」という事は想像できない。

3.ただし男でも、女装をしていて、その姿が美麗であれば(つまり普通の女の子よりずっと可愛いければ)恋愛対象になりうる。
 ※例えば歌舞伎役者(女方)の中村米吉なんかはその典型

4.しかし3.に該当する場合でも、それは「ある意味、実在しない架空の女性」に対する恋愛感情であり、つまりアニメのヒロインに恋をするようなものだ。化粧を落とせば男に戻るので、その時点で2.に書いた通り「恋愛対象」から外れると予想される。
 ※これは経験がないので分からないけれど、少なくとも恋愛関係に陥って一緒に暮らす、みたいなことは想像できない。

5.美少年趣味があり、保育園から小学校低学年くらいまでの男の子を「可愛いなあ」と惚れ惚れとして眺めることはよくある。しかしペドフィリア(小児性愛者)ではないので、性的対象としてではなく、単純に「小さく美しいものを愛でる」という感覚であり、当然のことながら恋愛対象ではない。

 5.は蛇足だけど、1.〜4.までをまとめた場合、私は facebook の恋愛対象欄において「女性」だけにチェックを入れるべきなのか、あるいは「女性・男性」の両方にチェックを入れるべきなのか、ずっと判断がつかず、ここだけは埋めていない。

 そうすると人はこう言うだろう「だったら、セクシャリティの表明については空欄で良いじゃん」と。

 いやいや、確かにね、明示しなきゃいいんですよ。でもですね、僕の場合、先述した通りテンプレートの中「恋愛対象」以外の欄は、普通の人ならあえて表明しない事(宗教・政治について)までビシッと埋めてるん。そこで「恋愛対象」だけ空欄なのは明らかに不自然でしょう。
 「あの人、あそこの欄だけ隠してるけど、実はゲイなのかも?」とか要らぬ勘繰りをされそうなのが嫌なんだよね。まあ個人的にはゲイ( or バイセクシャル)だと思われてても良いけど、なんかそれだと奥さんに悪い気がしてねえ。
 「あの人の旦那、実はゲイみたいよ」なんて陰口叩かれたりしてたら気の毒なんですよ(ちなみに奥さんは、僕が米吉のファンだと知っているので3.までは理解していると思う)

 だから「恋愛対象」の項についてはチェックボックスだけじゃなくて、自由記述欄を設けて欲しいわけですよ。

 人間のセクシャリティなんて多種多様なんだから、たった三つに区分できると考えるのは了見が狭いというものです。つまり、facebook はこと Sexual Preference (性的嗜好)に関して極めて鈍感で、結果として非常に Intolerance (不寛容)なテンプレートになっているのではないか?という話でした。

 以上

2020年03月14日

滞ってねえよ!つーか忙しいんだよ!

Pop is dead.
 ある友人から「ブログ更新、滞ってますね」と言われたんだけど、滞ってない!去年の更新頻度が異常だったのだ。
 ただ一つ理由があって、映画の感想は原則ここに書かず、Amazonレビューに書くようになった。
 だから、映画は結構見てるんだけど、原則ここには感想を書いてないってこと。

 ここから見られるかな?

 町山智浩さんのおかげで多少は映画を観る力が付いたのか、あるいはキリスト教に多少の興味を持ち始めたからか、
 「アメリカン・スナイパー」については、多くのアメリカ人よりも正しく、クリント・イーストウッドの意図をくみ取れたのではないかと思っている。

 あと、今後のビジネスに向けてTwitter、note、Instagramを始めて、YouTubeもたまに更新したりと忙しいのよッ!アタシはッ!(キンドーちゃん)
 朝は8時に起きて、転居関連等々の雑事をこなしつつ、映画一本くらい見て感想を書き、上記SNSのメンテナンスなんかしてると、いつの間にか18時とか19時になってる。

 職場で仕事をしてる時は定時以降に仕事をするのが大嫌いだったけど、こういう「未来に向けたこと(転居やビジネスの下地作り)や好きなこと(映画見たり機材いじったり)」をやってると時間なんか関係なく、夕刻、部屋が多少薄暗くなっても電灯をつけることすら時間の無駄に思えて作業に没頭したりしてる(目に悪いぞ!)

 そんなこんなで忙しいんだよ!
 インスタとYouTubeは英語のキャプション入れるようにしてるから、日英翻訳にも結構時間かかるし(基本、Google翻訳にぶち込んで、明らかに変な部分やマニアックな語句を平易なものに直すだけなんだけど、辞書引きながらこれやってると結構、時間がかかるのですよ)

 そんな感じで、処方された抗鬱剤もちゃんと飲んでるし、元気です。そして忙しい!
 で、忙しいことが不快ではない。

 まあ、幸せな時間を過ごしている、と言えるのかな。
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2020年03月09日

奥さんに「多分初めて」怒られた話

Pop is dead.
 現在、東京での新居確保でバタバタの日々。4/30に入居することは決まってるので、本当に時間との闘い。

 そんな中、入居の審査がどうしても通らない物件があって、僕は心底から怒っていた。
 自分の貯蓄額や職務経歴、東京なら年収1,000万円は稼げるであろう経験を示し、賃借契約期間の24か月分、家賃を前払いしても良い、という究極の部分まで譲歩したのに、首を縦に振らない。

 何が不満なのか?
 何を求めているのか?それについても具体的に述べない。のらりくらりとオーナー審査を徒に引き延ばしているだけ。さすがの私にも火が付いた。

 しかし、貸主が賃貸契約を一方的に断ることについては、法律上認められており、拒否理由の説明責任もない。
 しかし、ここまでの譲歩案を提示しているにもかかわらず、あいかわらずノラリクラリとされていては、これはただの「いやがらせ」だ。この時期、不動産の空き物件はどんどん埋まってゆく。1日どころか1時間の戦いである。

 あまりにも理不尽で不誠実な対応に憤り、私は不動産業者を介して「法廷で戦えないのであれば、超法規的な手段を取らざるを得ない」というメッセージを出した。

 で、奥さんに怒られた。「本当に思っていた事でも、文字にすることで暴力になるんだよ」と言われた。結婚して初めて、怒られたと思う。不倫したときには殴られたけど、言葉では怒られなかった。

 今まで僕のやることを全面的に受容してくれた奥さんに、初めて怒られた。反省するとともに、嬉しい気もする。
 ま、つまりノロケだ。
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2020年03月05日

現在、鬱病継続期(回復期)

Pop is dead.
・1月中は本当に気力が湧かず、絶賛鬱状態だったのだけど、いや、病気というより寒さが辛かったのかな、いずれにしても絶不調だった。

・ただ、2月の半ば以降はかなり元気になってきた。

理由は、
1.「母と直接会って話をする」という最もストレスに感じていたタスクを完了したこと(ロードスターで兵庫県まで行ってきた)
2.家の内見の為、東京に行ってきたこと(以前にも書いたが、東京の街を歩いていると「あ、俺はいま生きてるんだ」と感じる)
3.それなりの賃料でかなり良い住居物件が見つかったこと
4.最も尊敬する人物の一人である徳島北教会の富田牧師とお会いできる予定が出来たこと
5.とにかく.やることが沢山あり過ぎて「体調悪い」とか言ってる場合じゃなくなってきたこと

・ほんと、やんなきゃなんない事がいっぱいある。住居物件の契約はもちろん、引越し業者手配、インフラ関係(止めるもの/新住所へ移転するもの)、新しく通う精神科・内科の事前予約、会社の総務担当者に立ち合いのお願いとその際の留意点引継ぎ
・さらに不要物の整理(まだ使えるものは寄付業者に回す手配、プラモデルやってたから有機溶剤の処理や、粗大ごみ回収業者の手配)、ロードスターの売却準備、、新しく買う家具の検討
・あとまだ、現地の銀行口座開設、転出届/転入届、あ、それに住所変更の葉書も書かなきゃだ。

・さらに、この機会にと保険証券の全面見直しをしたり、壊れた椅子の張替えを業者に依頼したり、友人からの長電話に深夜まで付き合ったりと、まあ本当に忙しくて仕方ない。
・さらに事業用のTwitter、noteに加えてInstagramも始め、そこら辺もちょこちょこと更新しないといけないし、その上このブログには「書かずにはいられないような本音」も書かないと気が済まないし、なんだかんだ言ってるともう17〜18時になってる。

・とか言ってるうちにもう16時になってしまったではないか!
・友人が体調を崩しているらしいのでお節介なアドバイスをしたり、寄付品の発送をしたりで、なんだかんだダラダラ過ごせなかった。反省

・もっと頑張ってダラダラしないと!
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2020年03月04日

生きていて初めて「存在するべきではない映画」だと感じた。

Pop is dead.
・本日のAmazonレビュー。あまりに強い憤りを感じたので、ここにも保存しておく。


・観なくていいです。というか、就職経験のない人にとっては「観てはいけない映画」だと思います。

・以下、Amazonへのレビュー

タイトル:若者は絶対に見てはいけない映画(個人的には「許されざる映画」)+すべからくの誤用

評価:★☆☆☆☆(つーかゼロ、つーかマイナス5だよ、本音では!)

本文:
 映画としてはそこそこ面白い。ある種の爽快感もある。

 この手の映画を観て私が真っ先に思うのは「とりあえず労基署に行け!」ということで、それ以外の感想はあまり持ち得なかったりするのだけれど、この作品については個人的に許せないものを感じたので、それについて書く。

 はっきり言って、この映画が発しているメッセージは「罪悪」でしかない。ブラック企業に勤めている人間を、そのブラック企業に縛り付けるための「呪文」のような、悪魔的で忌むべき映画だと感じた。

 「一体感」や「やりがい」という言葉や気持ちに付け込んで、不法に従業員を就労させるのは、いわゆるブラック企業の常套手段であるが、この映画ではあっさりそこに乗っかって「爽快な物語」にしてしまっている。脚本家や監督はそこに気付かなかったのだろうか?
 気付かなかったのなら無能だし、気付いたうえでこのような映画を作ったのであれば、彼らは明らかに「罪人」いや、それ以上の邪悪な存在「悪魔」である。

 この映画を観て「うちもブラックだけど、前向きに仕事をすれば『頑張れる』かも知れない」と考えて仕事を続け、結果として自殺に追い込まれる人が現れるかも知れない、という想像力はなかったのだろうか?

 それから、精神が崩壊した従業員が出てくるが、観た限りでは障碍者手帳を持っていてもおかしくない状態で、しかもその原因は仕事だと容易に推測できる。つまり「労働災害」による精神疾患である。その彼をさらに「腋臭(アポクリン腺の発達)」というキャラクターにして、映画の中で半ば笑いものにしている。
 映画の登場人物が笑いものにしているだけではない。私の見た限りでは、脚本家も監督も「言葉もロクに喋れない奴はどう扱っても良い(彼自身に反論の余地などない)」と考えて撮っているようにしか思えなかった。さらに、その彼に終盤「職場にいることを肯定するような台詞」を言わせている。
 「これ、ナチスが作ったプロパガンダ映画かよ?」と感じるほどの弱者切り捨て。しかも恐らくナチスでさえ表面的には「障碍者や、労働力のないものは不要だ!」というメッセージを公表していなかったはずだし、多分そんなプロパガンダ映画も制作していないだろう。

 私は日本国憲法の下で生きているので「表現の自由」を肯定しているし「言論封殺」を忌んでもいる。しかし、この映画に関しては「撮ってはいけない映画/存在すべきではない映画」だと感じた。たしかに、エンドロールの最後に社長の邪悪さが表現されている(森本レオというキャスティングが見事だとは認める)が、基本的に「ブラック企業に縛り付けられ、自由を奪われて不法就労させられてもいいことあるぜ!」というストーリーのベースがある以上、戦前のプロパガンダ映画以上に害悪だと考えざるを得ない。

 学歴が低いから何だってんだ。あれだけの知識と技術があれば、スマートフォンのアプリケーションを開発するなり、今では「自由に働ける」環境が作れる。そういうオプション(選択肢)について一切触れず「低学歴の人間はブラック企業で死ぬまで働け!」という、映画という形式を採った暴力である、この作品は。

 さらにエンディング曲がいきなり「すべからくの誤用」から始まって脱力した。大変失礼な言い方だが「ああ、全体的に知性の低い人が集まってできた映画なんだな」と思わざるを得ない。

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 いかなる悪書であっても焚書すべきではない、と考えている私ですが、この映画に関しては「消えて無くなれ」と思った。

 人間が自由になること、資本論で言うところの「自由意志で『階級』から逸脱できる」というオプションを示さずに「プロレタリアート(労働者階級)の再生産」つまり「労働者階級の子供は、所詮労働者階級にしか所属できない、というスパイラル」意訳すると「労働者階級に所属する人間は先祖代々、資本家に搾取され続ける」という事を、この映画は「真っ向から肯定」している。

 よく誤解をする人が居るけれど(私もそうだったけど)「搾取」というのは労働契約によって合法的に取り決められたもので、それ自体が悪いわけではない。契約外の、あるいは法を逸脱した「過剰な搾取」が問題なのである。

 佐藤優の本を読むと分かるが、現在の日本経済では「過剰な搾取」が横行している。大きく言うと「子供の学費(労働者を再生産するための)、自己に対する教育費、余暇」この三つについて、多くの企業は「自己責任」という名においてその負担を労働者自身に課している。
 「余暇(あるいは残業)」については、そこそこちゃんとした企業であれば法を順守しているだろうし、さらにましな会社なら「自己に対する教育費」要は社内研修を行ったりもしているだろう。

 しかし「子供の学費」については、ほとんどの企業が無関心なのではないか。最低限「労働者を再生産できる程度の援助(今の日本なら高校卒業だろう)」は企業がすべきだし、親の働きぶりによっては「労働者階級から抜け出せるほどの教育」を施せるようにするべきだと思う。

 以上は持論だが、この映画では薄給、超長時間労働という「非常に過酷な経済的搾取」を「団結・やりがい」の名のもとに「なかったことに」している。つまり結婚して子供が生まれても経済的に最低限の教育しか受けさせられないし、子供と触れ合い愛情を注ぎながら家庭内教育を行う時間もない、まさに「自分と同じ劣悪な環境でしか働くことのできないような人間の再生産」を美化した映画に、結果的にはなってしまっている。

 中卒だからなんだ、ニートだったからなんだ。そんな劣等感からブラック企業で「団結・やりがい」をスローガンにして生きてゆくのであれば、仕事なんかやめて生活保護でも受けた方がよっぽどマシだと思う。
 プログラミングが出来て、プロジェクトの進捗管理が出来れば、学歴なんか関係ない。クソみたいなスパイラルから抜け出す方法はいくつもあるはずだ。

 そういう「希望」を見せずに、ブラック企業で団結・やりがいに仕事の意味を見出すという「完全に間違った希望」を美談として描いているこの映画は、私が生きてきて初めて「存在するべきではない、葬り去るべき映画だ」と感じた作品である。

※ラストシーンで見せる森本レオの悪人ぶりが重要だと評価している人が居るが、彼が悪人なのは映画の最初の段階から分かっていることで、ラストシーンで何かが変わるわけではない。
 基本は「ブラック企業で精神論の下に搾取されまくっている人を肯定する(あるいは制作者からすれば『嘲笑している』)」映画である。

 この映画が発しているメッセージは正に、
Arbeit macht frei
 という、冗談にもならない虚構だ。

 私は、この映画を認めないし、赦さない。
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2020年03月02日

棄教したった。

Pop is dead.
・先祖から伝わる仏教(浄土真宗)を棄てた。
・理由は、日本の仏教僧があまりに怠惰だから。
・佐藤優は、仏教が世界宗教になりにくい理由として「テキスト(仏典)が多すぎて読破出来ない」という事を挙げています(新潮文庫「いま生きる階級論」p120~121)

・確かにそれもあるでしょう。しかしそれ以前に、僧侶の怠慢ってのが、僕は許せない。

・キリスト教の宣教師はポルトガルから、わざわざ極東まで布教に来たんだぜ!で、かなり間があくけど19世紀には聖書の一部を日本語訳して出版している。
・対して仏教はどうか?「西遊記」の世界では、中国のお坊さんが教典をもらうために、危険を冒しながらインドまでわざわざ行くんだよ?つまり総本山は飽くまでも「待ち」の姿勢なんだよね。Wikipediaをチラ見しただけの浅い話で言うと、布教ってのをマトモにしたのはチベット仏教くらいなのかな?

・実に不遜で怠惰。「布教」てのは『折伏』まで行くと迷惑だけど、多少煙たがられるくらいの布教活動は宗教にとって相当重要な活動だと思う。仏教はキリスト教と比較して積極的にそれをしなかった、というのが僕からの一つの批判点。

・あと、最大の不満は「日本人の仏教僧」の愚かさと怠惰ぶりである。梵語を中国語に訳した教典を音読みして、それを「お経」として唱え、檀家から金を巻き上げている。
・檀家(信者)のいったい何割が、その教典の内容を理解しているのか?理解できてる人って、例えば葬儀で言えば参列者の1%をはるかに下回ってると思うよ?

・で、日本人の僧は「それでいい」と思ってるんだよね。もちろん本を探せば日本語訳も手に入るんだろうけど、それを積極的に紹介することもないし(そもそも教典が多すぎるし)
・例えば葬儀の時に、その日に唱える「お経」の内容を易しく解説したリーフレットを参列者に配る、程度のことすらしない。簡単な解説を口頭でする人はたまーにいるけど、ほとんどの場合「誰にも意味の分からない漢字の音読みを唱えて黙って帰ってゆく」のが坊さん

・で、葬儀会場に来るときは軽自動車で来て、普段はベンツのSクラスに乗ってるんだよね。

・たしかに日本人のほとんどは仏教徒なので「処理するので手一杯=役所みたいな状態」だということも理解できる、だったら、それぞれの寺がお金を出し合って、布教と教義説明のための研究所を作って、リーフレットの作成なりやれば良いじゃないか。Sクラス買う金があったら、そっちに回せよ!
・廃仏毀釈とかいう馬鹿なことがあって、仏教が大変だった時期がある、ということは分かる。でも、それは現状の日本仏教界にとって免罪にはならないよ。

・もっとちゃんとしろ!

・その一方で、僕は「ファンシイ・ダンス」なんていうお坊さんの映画が結構好きなんだけど、あそこに出てくる僧の作法って「モーゼの十戒」くらい原始的で幼稚なものだとも思う。

・そんなわけで僕は仏教を棄教した。

・大体、般若心経にしたって「全ては無である」と言いながら極楽と地獄はあるわけでしょう?支離滅裂だよ。加えて、前世の徳によってどのレベルに転生するか決まるって「全ては無である」と矛盾しまくりじゃん。単純に「全財産を寺に寄付しろ」という、今の悪質な新興宗教と変わらないメッセージだと思う。

・仏像は工芸品として好きだけど、仏に祈ることは今後一切ないと思う(というか、もともと無神論者なので神社仏閣で真面目に祈る、という経験はほとんどないんだけど)

・じゃあ何教徒になるの?と問われると「無宗教」なんです。

・ただ、徳島北教会の富田牧師とお会いする機会に恵まれ、後日徳島まで行ってきます。富田牧師は日本キリスト教会の中でも超リベラルな人で、それこそカトリック教徒が聞いたら卒倒するような話をする人です。言い方を変えると「信徒に隠し事をしない、嘘をつかない人」だと感じています。高等批評を踏まえた上で、信徒に、誠実に話をしている。
・僕にとって今の時点で、町山智浩や佐藤優と並んで「尊敬している人」が、富田牧師です。

・ただ洗礼を受ける気もないし、正式にキリスト教徒になろうという気持ちも(今のところ)ありません。でも「神( Something Great )」の存在は信じかけているし、新約聖書を座右の書として生きていきたい、という気持ちは持っています。
・そんなわけでまあ実質、他人から見ると「キリスト教徒」になるのかな。

Masaki Tomita ( YouTube )

・偉そうに書きましたが、私は宗教史・仏教史には全く詳しくありません。前段での仏教批判は、今まで仏教上の儀式に何度か列席した自分の体験と感想からきたものです。事実誤認がございましたら、コメント欄にてご教示いただければ幸いです。
posted by LSTY | Comment(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク