・怒られたんじゃないの?「あれはやりすぎだろ」って。
・さて、最近少し思っていることは、なんかweb上にいるのが窮屈になりつつあるなあ、ということ。
・いくつかの揉め事というか、なんかそういうものを見ていて思ったのです。
・web上での議論が不毛な結果に終わりやすい、ということは今まで何度も書いてきているわけですが、それを再認識したというか。結局、罵倒のし合い、いちゃもんの付け合い、虚勢の張り合いに終始して、そこから何が生まれたのかっていうと、何も生まれてないんじゃないの?と思うのです。
・ああいう論争から学び取れるのって「危機管理の手法」だけのような気がするんですよ、僕は。批判されないための手法とか、論争をとりあえず収集するための手法とか。本当の意味で見識を深めるための意見交換や議論にはなっていないと思う。
・危機管理は大切だけど、それにとらわれすぎると窮屈になる。
・批判に答えることは、文章に責任を持つという意味で当然だ、というのは確かにその通りなのだけれど、なんというか本来の責任から逸脱したような所ばかりで議論(僕に言わせればほとんどケンカだと思う)が展開されていて、それこそ無責任なのではないかと。
・変なイチャモンをつけられたくないから、肝要なことを書かない。それはそれで正しいが、しかしつまらない。
・ブログブームによって、ネット上にコンテンツを持つ人口が爆発的に増えた。その結果として、ネット上でのコミュニケーションもユルい物になってゆくのだろう。
・その流れは、自然といえば自然なのかも知れない。
・でもそんなのはつまらない。
・僕にも、そんな理由からブログを辞める日が来るのだろうか?そんなことを、少し考えています。
同感です。
自分のことは棚にあげてですけど
最近、ブログ、つまらなくなりましたよね。
以前は、もっとおもしろいブログがたくさんあったような気がする。
>変なイチャモンをつけられたくないから、肝要なことを書かない。
これはあると思う。
おもしろいこと書いていた人も
一度、そういうトラブルにあっちゃうと
お金もらってやってるわけでもないのにめんどくせーなって
無難なことしか書かなくなるんですよね。
で、結果、主婦の日記&井戸端会議みたいなものばかりになってる。
来年あたり、ばーっとすたれるかもしれないですよ、ブログ(笑)
「人」なんだから、収拾付かないようなケンカをやることも、可能性としてあるでしょ、って。
生き続けることが大事なんじゃないかなとも思うな。
他人が書いた物を読む、とか他人の表現を見る、って言うのは、新しい物を探す楽しみを提供してくれる。
でも「自分にとって新しいこと」って、未知なもの、触れたことのない物なんですよね。だから、新しいものってすぐには受け入れられないんですよ、ほとんどの場合。
そこで、いったんは反発するんですよね。少なくとも、僕の場合はそういう事が多い。反発しつつも「これはどういうことだろう?」って考えて、少しずつ受容する。それが他者と交わる楽しみなのではないかと。
でも、そういう覚悟のない人とか、あるいは虚勢を張るために罵詈雑言を放ったり、メンツ保持のために最初の主張を押し通す人が多いな、と。
そうなるとつまらない。ただ窮屈になるだけ。
いや、喧嘩は良いんですよ、なんらか実りがあれば。実りのない実りのない喧嘩が続くと、LINさんが言うように「めんどくさい」って気持ちが強くなってきて、「書きたいけど書かない(書けない)」ことが増える。つまらん。
続けるのが大切、というのはあるんですけどね。一回叩かれたぐらいで凹むなよ、とか。でも、そういうのが慢性的になってくると、楽しくないですよ、やっぱり。
今月からブログを始めたyaeka69sという者です。
まだ手探り状態で、方向性すら定まっていないまま
コメントを入れるのは内輪だけ、こちらからIPが見られる訳でもなく他にも定期的に読んでる人がいるのか?すら解らず、行き詰っています。
>変なイチャモンをつけられたくないから、肝要なことを書かない。それはそれで正しいが、しかしつまらない。
今まで、見る専門で書き込みたいとすら思えなかった
気持ちの悪い賛美だらけのブログでは絶対に出てこない文章だと思います。
手前のブログはほとんどが下らない文章、
一度だけ真面目に書いた気の日もあったけれど
それすらロッキングオンの真似事にも及ばない。
反省することしばしばです。
とは言え重くなっていくのはイヤだという意識が
自分を下らない方、馬鹿げた方へと向かわせる。
それすらも人真似です。
ブログでも完全なオリジナルなんて有り得る訳が
ないのでしょう。
私が使用してるgooですら件数だけは40万を突破しています。
だらだら纏まりなく駄文を綴りかたじけないです。
LSTYさんのような視点を持った方に時間が有らば
見て頂きたくURLを書きました。
下記が阿呆な質問なのか?も判断付かぬド阿呆です。
こちらをブックマークしたいです。
宜しいでしょうか?ご回答願えると有り難いです。
実生活で妥協することが多すぎて、せめてWEB上では妥協しない自分でありたいと思うのでしょうか。とにかく恐ろしいことです。
そういうのがあれば「伝説」といかないまでもしばらくの語り草にはなるような気がします。ようはそれだけレアケースってことですが。
実体験ベースで『そういうのに出会えないかとブログ界に身を投じて○年ですが未だ出会えずにいます(中略)思うよりつまらないものですよ』と言うのも啓蒙のひとつになると思っているのですがどうでしょうか。かなり自己弁護含みですが(苦笑)
暗いといえば余りにも暗い情念なんですけどね...
こんにちは。ブログには、自分の書きたいことを書く、書きたいこともないのに書き続けるやつはご苦労さん、というのが僕の基本的な考え方です。だから、別に卑下する必要はないと。
>見て頂きたくURLを書きました。
なんで私のような物に意見を求めるのか疑問ですが。それは正に虎穴にはいるような物だったり(笑)失礼を承知で書くと、
・全部太文字→馬鹿に見える
・記号が多い→馬鹿に見える
・改行が多い→馬鹿に見える
なんですけど。でも、これは僕の好みですからね、飽くまでも。僕はネタ系ブログって読まないし、第一、人気ブログやカリスマブログの90%以上は僕が嫌いなタイプのブログなので、逆に良いのかも知れない、とか思います。(でも太文字は直した方が良いかも)
>こちらをブックマークしたいです。
僕の考えはこちらの通りです。ご自由にどうぞ。
http://lsty.seesaa.net/article/9062547.html
無価値なことと勝手なことしか書いてないですが、またおいでいただければ嬉しいです。
僕は、論争好きがまじめとも思わないし、ユーモアが本質的な物を解決するとも思わないのですよ。
議論を交わして何か得るためには、相手と自分の間に、薄い膜を張って、浸透圧のように相手の意見や自分の意見を吸い取り合う、というようなプロセスがあると思うのです。全て受け入れるわけでもなく、しかし全てを拒絶するわけでもなく、ゆっくりと考え方を浸透させあう。
そうあるための準備を、議論の前にしておくべきだと思うのですね。
でも、僕がブログ上で見た議論の多くは、最初から浸透なんてできっこない分厚い膜、というか「壁」を作ってしまって、お互いがその壁の向こうから銃を撃ち合ってるような感じ。
そんなのイヤだよなあ、と。で、なんか最近続けてそういうのを見たので、この記事を書いたのでした。
とにかく恐ろしいことです。
お久しぶりです。「思うよりつまらないもの」というのは、当たらずとも遠からず、かも知れませんね。
本を読み、街を歩き、またwebページを「見るだけ」の方が、深い生活が送れるような気もします。気もします、っていうか、間違いなくそうだろう、と。
分かっていながら僕がそうなれないのは、情報依存症なんですかね、やっぱり。あ、あと自己主張が強すぎるのか。
貴重なご意見ありがとうございます。
虎穴に入らずんば虎児を獲ず、恐らく独自の観点で忌憚無い言葉を返して頂けるのでは、と図々しく多少の期待をしておりました。
あえて目に入りやすいかと考えての太文字はLSTYさまの目線では逆効果なのですね。
太文字については、単純にパッと見の印象ですか。
リンクに関しては先程、ざっと目を通しました。
再度見て、考えてみます。
この場所においては毛色違いの者ではあろうかと感じますが時折、顔を出したいと考えております。
あと、無価値とは少なくとも私は思いません。だからこその虎穴でして、つまりは御謙遜でしょうか(笑)
こんにちは。ちゃんと読んで頂いたようで、ありがたいです。
ただ、言っておきますけど僕は元来つまらないタイプの人間なので、僕の言う通りにブログを作っていると、無粋で人気のない物になりますよ。いや、これは本当にそうだと思っているのです。
無価値というのは、必ずしも謙遜ではありません。最近、「無価値でもいいや」と思って、本当に適当にブログ書いてます。