3/29・最近、またたまに「死にたい」と思うけれど、その「死にたい」は、例えば散歩をしていて、ここの道を曲がって路地に入ってみようかな、というような。そういうような気分での「死にたい」であって、特別に悲壮感を伴うような、あるいは切羽詰まった「死にたい」ではない。
・自殺の名所でもある富士の樹海のちかくには、自殺者御用達の旅館があるらしい。御用達というのもおかしいが、「自殺者が常連」と言ってはもっとおかしいだろう。しかしまあ、そのような宿があるらしい。そういう宿に行ってみたいと思う。多分、作りも古く、サービスも悪く、食事も不味かろう。そのような宿に泊まる。
・これから死のうとする人にとっては、そういう風情は良い物なのかもしれない。しかし、死を前提としなければ、その宿のダメさは滑稽な物だろうと思う。そういう滑稽さを味わいたいとも思う。
・「博士の異常な健康」、ハゲとは結果でなく過程である。なるほど。
・そういえば、僕がかつて切羽詰まって「死にたい」と思っていた時期、死ぬ場所と時間を探していたとき。
・紙袋に日用品を入れて、ホテルを転々としていた。
・家に帰らず、ホテルに泊まりながら生活すると分かる。いろいろ、持ち歩かないといけないんだよ。傘とかね、時に無駄な上着とか、あるいは死ぬための道具や。
・そのような持ち物を、大きな紙袋に入れて次のホテルに向かう。
・その時僕は「死にたい」とばかり思っていたわけではない。もう一つの選択肢として「いなくなったように生きたい」というのがあった。今までの自分とは分割された自分として生きてゆきたい、というような。
・そんなことを思いながら、紙袋を引きずって歩いていると、「あ、今の俺はコジキのなりかけですな」と思う。
・コジキというのは結果であり、それは一つの生き方である。多分、安定していて、それなりに楽しかったりするんだろうな、とか思う。
・しかし「コジキになりかけ」はいかん。
・過程というのは、当人にとっても他人にとっても「なんか座りの悪い、気持ち悪い物」だと思う。
・コジキと言えば、ホームレスという呼称には風情がない。やはり「おこもさん」と言うのが、音感として良い。
・余談だが、内田百間先生の文章に出てくる乞食は、とても良いように思う。
3/30
・写真を現像に出す。110mmフィルムは現像に2週間あまりかかるらしい。
・ピンホールカメラで撮った写真、なかなか良い色が出ている。電灯の色などが良い。
・突然の雨と春雷。数日暖かい日が続いたが、また寒くなる。
・映画「ジャッキーブラウン」見る。老いとか、アメリカの豊かさと貧しさとか、そんなことを少し思う。
・先日、市販されている蕎麦には、そば粉よりも小麦粉の方が多く使われていると知る。それを知ったので、そば粉の含有量が多い物を選んで買ってきたのだけれど、あまり良くない。
続百鬼園随筆


それにしても私のこの職業も今のなりかけ。みたいのん、やり辛い気がします。
そして、恥ずかし過ぎですーー;
私が今実家でなくここに持ってあるのは、2通だけかなぁ…。
僕の死にたいは、消えたいの延長線上にあったように思うのです。というか、世の中のどのくらいの人が「生きたい」と積極的に感じているのだろうか?などと思います。