2006年08月09日

8/8日記(円山応挙の龍)

Pop is dead.
Pop is dead.・颱風近づく。
・そのせいか、帰り道、雷光が見える。
・それで思い出した。

・3年ほど前、島根県の足立美術館で円山応挙の龍を見た。
・美術の教科書に載っている、定番のあれである。

・見て驚いた。
・僕は、この絵っていうのは「円山応挙が龍を描いた絵」だと思っていたのだ。
・でもそれは全くの間違いであった。
・夏、あるいは颱風の季節、黒く広く漂う雲。そこに雷が光る。
・その空を見上げる私。
・不穏に動く雲に、陰影ができる。
・その時の「感じ」だ。
・一瞬、龍が見えたような気がする。
・応挙が描いたのは、龍ではなくて、その「龍が見えたような感じ」だ。
・微妙な形の雲に、激しい光が当たったとき、そこに幻のように見える龍。それが応挙の龍だった。

・真に才能のある画家・画工というのは物を描くだけでなく、気分をも描くのだと今更思う。
・夜、先日の牛すじ煮の煮汁を使って担々麺風ラーメン。深夜、蕎麦。
・炭水化物とりすぎ。
posted by LSTY | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
音楽もそうですよね。
気配とか気分とか、自分が無防備でないと感じられませんが。
*
唐突ですけど、BRIDGEのCoccoのインタビュー記事は読まれましたか?
Posted by takupe at 2006年08月09日 16:06
■takupeさま
 音楽、特に歌詞のない音楽や抽象画の方が「意味」を持たない故に空気や気分を表現しやすいのではないかと思います。誤って理解される可能性も高まりますが。

>BRIDGEのCoccoのインタビュー記事は読まれましたか?

 音楽を言葉で表現するというのは基本的に虚しい事だと思うので、音楽雑誌は読んでいません。
Posted by LSTY at 2006年08月10日 09:56
 たまにLSTYさんの文章には虚をつかれるというか、はっとさせられます。普段何気なく感じていることを言語化されることで「なるほどなあ」と思わされるのでしょうか。
 ちなみに私も炭水化物とりすぎ(特に餃子)です。
Posted by ひげめがね at 2006年08月10日 13:02
■ひげめがねさん
 一般的には「幽霊に足がない事を考えたのは円山応挙」ってことになってるんだけど、あれもひどく浅はかな考えだと思う。
 つまりあれは「幽霊なんていう、いるかいないか分からない物を見たような気持ち」という、その曖昧さを表す表現手法なんだよ。
 つまり応挙は「幽霊には足がない」ということが言いたかったのではない。「見えるはずのない物が見えた時の曖昧さ」を表現したかったのだ、と。似ているようで全然違う事だよね。
Posted by LSTY at 2006年08月10日 13:12
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