
・最近ことあるごとに思うのが「小池徹平はかわいいな」ということで、先日、同僚(男)に「小池徹平はかわいい」と漏らしたところ、「君もそう思うか!」と同調された。
・たぶんこのようにして「俺にはゲイの素質があるのかもしれない」と密かに思う男が、世の中には沢山いるのだろうと思う。
・そう思うと楽しいし、小池徹平というのは実に罪深い存在だと思う。
■9/9
・仕事。
・「妖怪大戦争」を見ようとビデオレンタル屋に行くが、それをてっきり忘れて「バットマン・ビギンズ」や「花と蛇」など借りる。
・「花と蛇」を見てびっくり。こりゃ、映画じゃないよ!ただのエロビデオだ!
・いや、もうVシネなんかの中途半端な露出を完全に超えた。こんな事が許されるのか?と思いました。
■9/10
・だるいので家から出ず、昼から酒を呑む。
・これは最悪のパターンです。疲れる→呑む→体に負担→疲れる→寝る→起きて呑む。これは最悪のスパイラル。
・夕方、嫁が後輩と食事に行くというので渡りに船と出かける。
・当然呑むが、一人で呑むよりは余程良い。
・ルッコラおいしい。
・カシスのムースおいしい。
・今の20代は「寅さん」を知らないということに衝撃。
■9/11
・疲れた。仕事過酷。
・ブックマークタグを付ける元気もない。
・日に何度となく「殺す気か!」と言いながら、実際頭の血管が切れて死ぬんじゃないかと思いながら、なんとか終了。
・で、死にそうになりながら帰ってきて「ヤスケンが見たい」と思った。エスケンじゃないよ。
・で「30時間テレビ」だ。
・注文していた正岡子規「仰臥漫録」届く。
・過日、父親とこの原本を見る機会があったが、父はそれを眺めながら「食べてもすぐ吐いちゃったんだろうなあ」等と話していた。
・その口調はどこか楽しげであり、それはつまり、父自身もそのような経験を経て、しかし今は幾分健康的な生活を取り戻している、というような自信や安堵感からであろうと思う。
・死んだ人間は飽くまでも死んでいる。世界は、今、生きている人間のものだ。
・なんとなく思うのは「生きたい」という意志や決意なんかより、「生きている」という状態の方が、よっぽど尊いことなんじゃないか、とかいうこと。
・そういえば今日も漫画家の自殺の報があったのだけれど、自殺を考える人間に「生きる力を持て」と言うのは無茶な話だと思う。なんとなく生きてしまっている、という、そのような事をどう肯定するかだ。人生に意味なんか無くても良くて、ただぼーっとでも生きていること自体が良い、というような。
仰臥漫録

頭の中では死に方をいろいろ考えるんですが、とりあえず死なないでいる。
消極的な生でもいいのかなと、ちょっと思いました。
僕は、健全に生きている状態というのは「生きる意味なんていう物を考えていない状態」なのだと感じています。極端に言えば「馬鹿になっている状態・鈍感になっている状態」が健全だと。
とりあえず生きていれば、消極的だろうがなんだろうが全く構わないと思いますよ。
はい キリヤマ隊長どうぞ
「海底もわれわれ人間のものだ!」
……失礼しました
坂本龍一(as甘粕正彦)いわく
「アジアは我々の物だ!」
きたろう曰く、
「大丈夫、トラも人間だ!」
関係ないですけど。
(なんて強弁すると余計に怪しいよなぁ)
ホモセクシャルに転じるかもしれない、という方が、つまり未来の可能性を多く持っているという点で優れてはいないでしょうか。どうだろうか。
そう言いながら雑誌売り場をうろうろしていると
友達に、やめなさい!と叱られました…。
CD買おうとCD屋さんでうろうろすると、年を考えんかい…と
言われました。。
妖怪大戦争の男の子に似ていると先輩方に言われます…。
おもしろいです
見られません。
歳はまあいいんじゃないでしょうか。根拠はないけど。
>妖怪大戦争の男の子に似ている
それは、誰が?mkさんが?(笑)
神木隆之介ってなんであんなに目の周りが赤いのか気になりました。
記事を拝見して
ただ生きてるだけでもよいと自分自身を許せたら、もっと楽に生きれるのに・・・と思いました。
変な例えですけど、今はLSTY様や他のブロガー様の言葉を「食べて」生きているような気がしています。
生きているだけでも良い、というかですね、僕は生と死は並列してると思ってます。死んでも良い、という感覚を持って初めて、消極的な生を容認できるというか。
こんなブログでも、生きるための暇つぶしになっていると考えると、それはとても嬉しいことですよ。