2012年04月06日

Ratnamsonの万年筆をもらう・古典落語は損な芸能

Pop is dead.
Pop is dead.赤枕十庵さんに、万年筆を頂く。思い返してみれば、僕にLAMYサファリがいいよ、と教えてくれたのは十庵さんであって、いろいろありがたい、と思う。
・さて頂いた万年筆は、インドのRatnamsonというメーカーのものだ。検索してみると、日本語読みではラトゥナームサン、ラトナムサンと読むようだが、なにしろ日本のwebページには、このメーカーに関する情報がほとんどない。しかし実際は、マハトマ・ガンジーが使ってた万年筆のメーカーということで有名らしい。
・非常に原始的な作りの万年筆で、アイドロップ式というインク補充方法を採っている。本体とペン先を外し、本体側にスポイトでインクを直接入れる。明治期の万年筆なんかは、こういうものだったらしい。
・もらっておいて悪いが非常にチープな質感で「ほんとにこんなので書けるのか?」と思ったのだけど、果たして、ちゃんと書けるのでした。書き味もいいんだ、これがなぜか。
・珍しいものみたいなので、レビューは別途ちゃんと書きます。

・あ、ついでに万年筆のインクの話。
・先日、エルバンの「ヴィオレ・パンセ」というインクを買った。かつてフランスの学校教育で使われていたという、美しく由緒正しい紫色。
・もっと青い紫かと思ったら、随分あざやかな紫で、こんな華やかな色を学校教育で使うとは、やはりオフランスは侮れぬ、と感心する。
・で、この色どこかで見た事があるな、と思ったら、アレだ!私が「醜悪」と表したメモ帳、ロディアの罫線がこの色なのです。
・ロディアのメモ帳の罫線って、紫なんですね。なんだこの趣味の悪い色は!と思って一生使わねえ宣言をしたんだけど、それとほぼ同じ。
・なるほどそうか、標準の万年筆インク色に合わせた罫線を引いてるのか。うーん、それなら意図はわかる。
・なんか「負けた」気持ちだ。

・さて、考えてみれば古典落語っていうのは、なかなか損なジャンルだ。現在生きている落語家が一生懸命やったって、歴史に残る名人と比べられて「マズい」と評価されるから。
・どんなにシャッチョコバったって、志ん朝師匠にかなう落語家は、今いないだろう。「偉そうにしたって、志ん朝師匠と比べれば下の下でゲスな」と一刀両断。「こいつの落語より圓生師匠の方がうまい」でも可。
・これが小説だった場合ですよ、「村上春樹より夏目漱石の方がうまい」って言う人はいないでしょう。つまりここが、創作と古典、伝統芸能の違いなわけです。

・同じく伝統芸能である歌舞伎の場合はまだ救われている。一つには、映像による記録の歴史が浅い事、そして「型」がしっかりしている事、この二点において有利なんだろうと思う。
・映像、ことにカラー映像で歌舞伎が記録されだしたのはいつ頃なのか、今DVDで出てるのは80年代くらいからだよね。落語だともっと昔の「昭和の名人」の音源が残ってる。残ってるから比較されやすい。
・それに、歌舞伎は型が決まっている。同じ芝居を違う役者がやっても、大きく違う事はあまりない。だから、上手い下手が(そんなには)目立たない。
・対して落語の場合は基本が「笑い」を招くための芸能だから、しっかりした「型」がない。笑いというのは枝雀師匠が言うように「緊張の緩和」、つまり落差なわけで、型にはまってやっていては、落差が落差でなくなる(観客がなれてしまう)からである。
・だから「ここはこういう風にやっていればOK」という型がなく、話を絶えず変化させなければいけない。その中で上手い下手の差が大きく出てしまう。

・だから、落語って不利なんですよ。かわいそうなのよ、今生きてる落語家は。
・で、最近気付いたんだけどリアルタイムな落語ファンっていうのは「今生きてる落語家」だけを見てるのね。ライブである事がまず前提にあって、その中でうまい人のを見たい、という感覚。極論すると、志ん生・文楽とは全然ステージが違うわけ。さっき書いた「村上春樹と夏目漱石」の違い。
・こういう感覚が、僕の場合うすい。ブラック師匠の事は好きだし、先日聴いた桂珍念の「はてなの茶碗」はかなり良いと思ったけど、結局「志ん朝師匠とは雲泥の差」とか「米朝師匠と比べて、ここは良かった」という見方をしちゃう。あ、米朝師匠は死んでないか。
・だから、リアルタイムな落語ファンとは友達になれない。多分話してるうちに喧嘩になるから。

・最近また「同族嫌悪」が怖くなる。似た趣味を持っているほど、その細かな違いが気になり、イライラしてきたりする。大須演芸場に通い始めると、そういう関係が出来てしまうのかも知れない、という恐怖がある。

・僕が快楽亭ブラック師匠のブログを愛読しているのは、車谷長吉の私小説にあるような愛憎や虚栄が、そこにあるからだと気付いた。
この記事へのコメント
ガンジーが使っていたというももそうなのですが、ガンジーがきっかけで万年筆を作り始めたらしいですね。

もともと、Ratnamはリトグラフのブロックを作ってたそうなのですが、ガンジーから「なにか庶民にとって手に入りやすい有用なものを作ってもらえませんか」にいわれて、作ったのが万年筆。それをガンジーに送ったらたいそう喜ばれたとのことですね。

その頃のガンジーはスワデーシーという「国産品を愛用しましょう運動」をやってて、その流れでできたものの一つらしいです。ガンジーだけじゃなくてネルーも使ってたようですね。

技術的なこともあるのでしょうが、庶民が手にしやすいものじゃなきゃいけないんで、安くないとダメなんでしょう。だから、ずっとアイドロッパーなんじゃないかと思います。
Posted by 赤枕十庵 at 2012年04月08日 09:24
■赤枕十庵さま
 その節はありがとうございました。

>スワデーシーという「国産品を愛用しましょう運動」をやってて

 ガンジーが使ってた、ということで、そういう事だろうと思いました。
 ちょっと引っかかりがあったんですが、万年筆店で調整してもらって良くなりました。
Posted by LSTY at 2012年04月10日 11:58
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