・そして最近、その時と同じように「芸術とは何か?」あるいは「こんなことしちゃっていいのか?」と感じる事があったわけですよ。それが「芸術作品ペンキで塗り直しちゃった事件」でございまして、何かというと、正式なプロジェクト名は「浅野祥雲作品再生プロジェクト」と言うんだそうです。
・浅野祥雲(あさのしょううん)と聴いて、ピンと来た人は重度のサブカル野郎だと思うわけですが、有名なところでは「関ヶ原ウォーランド」に置いてあるコンクリート彫像群を作った人ですね。タモリ倶楽部で、みうらじゅんが紹介していたので、それで知っている人もいると思います。関ヶ原以外にも、熱海城、桃太郎神社、五色園といった所に、我流のコンクリ彫像をむやみやたらに作っちゃった人です。あまりに多作なので「作っちゃった」って表現がしっくり来るように思います。
・で、「芸術作品ペンキで塗り直しちゃった事件」というのはですね、それらのコンクリ像を素人が塗り直してる!という情報をキャッチしたんですね。で、僕はすぐに「そんなことしちゃって良いの?」と思った。
・つまり、現代の日本における仏像なんかの保存に関しては「現状維持」ってのが基本だと思っていたのですね。どんなに塗装がはげようとも、絶対に塗り直さない。劣化は防ぐけど、ハゲちゃったものはハゲちゃったママっていうのが原則ですよね。実はこれは日本における原則で、外国では仏像なんか結構塗り直してるらしいんだけど、日本ではそういうもんだろ、と思っていた。
・浅野祥雲のコンクリ像っていうのは、まあ「芸術作品」と言える物かっていうと微妙ですよね。だからそういう原則とか関係ないのかも知れない。しかし、だからといって平気で塗り直しちゃって良いのか?
・しかも、スタッフは一般公募みたいになってて、つまりシロートが塗り直してるらしい。それはいくらなんでもどうなのよ?とさすがに疑問を感じたわけです。
・その時の様子が書いてあるのが、ここです。→みんなでキレイにしよう!「桃太郎神社・再生計画」【愛知】
・ここにも衝撃的な事が書いてあって
初日の13日には金属ブラシで塗られていたペンキを剥がす作業をし、・金属ブラシでゴシゴシ!そんな乱暴なことを!
・これはもうたまらんでしょう。いや確かに、浅野祥雲っていうのは広く芸術家として認知されてないかも知れない。しかしオリジナリティあふれる造形家として、多少は知られた人なわけです。その作品を勝手に削って塗り直すっていうのは、これは何なんだろう?と。
・どこからどこまでが「芸術」なのか?コンクリ像は「芸術」ではないのか?こういう微妙な位置づけの「造形作品」は保存すべき物なのか、修復すべき物なのか、修復ったってシロートが削って塗って良いものなのか?と、そんな事を考えた。
・単純に「削ったり塗り直したりしてケシカラン!」って事ではなくて、「これってどういう事なんだろう?」と面白くなってきたわけですな。
・で、実はとある知り合いがこのプロジェクトに参加していたのです(というと偶然のようだがそうではなくて、その人のTwitterから、この件を知り得たのです)
・こりゃ、どういうつもりなんだか訊いてみないといけない、と思って、ちょっとその時の話を訊いてみました。で、訊いてみると「勝手放題に削って塗り直した」ってイメージとはかけ離れていて、かなり真面目に「修復」という観点から作業してた、という事が分かって感心したわけです。
・まず前提として重要なのは、今回が初めての塗り直しではなく、祥雲作品は過去何度にも渡って塗り直されてきた、という事。しかも、その都度上塗りされていたので、ペンキが何層にもなってる、って事なんですね。
・重ね塗り重ね塗りで、もとの造形がつぶれてるケースも多いようだ。だから「削る」っていうのは、もとの造形を再生させる「復元」という意味を持っている。広い面はグラインダーで、細かい部分は金属ブラシでペンキを削り落としたらしい。削る作業上で、コンクリの造形が傷つくってことは実際にもあったらしいが、そんなに深刻ではなかった模様。
・で、その削ってゆく段階で「オリジナルの塗装色」を確認したと言うんですな。つまり、一番下地に塗ってあるペンキの色を確認して、その色をプロが調色する。だから今回の塗り直しは「オリジナルの塗装色」により近い色でなされた、という事です。
・うーむ、なるほど、と思った。勝手に塗ってるわけじゃないんだ。「オリジナルの復元」って目的で作業してるんだ、意外とちゃんとしてるじゃないか、と感心しました。
・中には屋内に配置されてる像もあって、そういうのはオリジナルの色が残ってる。そういう物も確認しながら、作られた当初の状態を研究しているようだ。
・最初にこの話を知った時には「随分乱暴なことを!」と思ったが、詳しい話を知ってなるほど、となった。かえって「芸術」として認定されていないからこそ、こういう活動が可能になるわけで、なんというのか「人間」と「作品」の関係として、あるいみ理想的なものなのかもしれんなあ、とも思う。
・「これは芸術!」って思われた時点で、「手出し」が出来なくなっちゃうじゃないですか。いわゆる「B級芸術」だからこそ、こういう復元・修復活動もできる。「オリジナルを残すのが大事だ!」って事が重視されて経年劣化してる作品と、塗り直された作品と、どっちがオリジナルに近いのか、とか。
・そういえばデュシャンの「泉」も、本当のオリジナルじゃないんだっけ。なんて事を思い出した。