2005年04月22日

「志ん生が好き」という意見に思ったこと

Pop is dead.
DOB_devil(byTakashiMurakami) 落語が好きという人が、どうも増えているように感じるのだけれど。
 そんな中、昨日の夜、酔った頭で思ったこと。

志ん生師匠は「噺家」ではなく「間口の広い幇間」、だから聴いた人間が浅薄であればあるほど、満足する。
圓生師匠は「対MASS」、聴く人間を睥睨した落語。
・圓生師匠は「名人」という評価にもこだわった。「前座名人会」なんてネタも。
・多くの人は圓生師匠よりも志ん生師匠が好き。
・でも、その安直さに、どっか反省があっても良いと思うよ。
・いや、最終的には好き嫌いなんだけど。

 そんなこと。落語聞き始めで「志ん生好き」の席に収まってしまうのはいかにももったいない。圓生師匠だけではなく、文楽、金馬、彦六、志ん朝、また米朝、こういった名人たちの高座を聴いてこそ感じられる志ん生師匠の良さという物がある。
 例えば談志が志ん生を評価するのっていうのは、何回転もした結果なのだろうと思う。
この記事へのコメント
×講座→○高座
Posted by LSTY at 2005年12月19日 11:54
多くの人は志ん生が好き、てのはどうかなあ?多くのひとは落語に興味が無く、興味ある人で落語をたくさん聞いてセレクトのかかった人の中でも、さらに志ん生か円生か、なんて考えるのは、落語ファン全体からみてもごく少数でしょう。それでも志ん生ファンは必ず存在し、いろんな落語がありいろんな落語家、落語ファンがいて、日本語が存在する限り、落語が死にたえる可能性は低いんじゃないかなあ。脳天気ですかね?こうゆう考え方が落語を殺すんですかね?落語を殺すのは名人のCDがあればいいていう考えじゃないですかね?
Posted by 熊吉 at 2009年10月17日 20:26
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