そんな中、昨日の夜、酔った頭で思ったこと。
・志ん生師匠は「噺家」ではなく「間口の広い幇間」、だから聴いた人間が浅薄であればあるほど、満足する。
・圓生師匠は「対MASS」、聴く人間を睥睨した落語。
・圓生師匠は「名人」という評価にもこだわった。「前座名人会」なんてネタも。
・多くの人は圓生師匠よりも志ん生師匠が好き。
・でも、その安直さに、どっか反省があっても良いと思うよ。
・いや、最終的には好き嫌いなんだけど。
そんなこと。落語聞き始めで「志ん生好き」の席に収まってしまうのはいかにももったいない。圓生師匠だけではなく、文楽、金馬、彦六、志ん朝、また米朝、こういった名人たちの高座を聴いてこそ感じられる志ん生師匠の良さという物がある。
例えば談志が志ん生を評価するのっていうのは、何回転もした結果なのだろうと思う。