・いつも起きる1時間前に起きて、何も気付かずそのまま出かけそうになった。リアル芝浜状態。
・3月に入って寒い日が続いたため、いまだ本格的に運動できず。
・唇が乾燥で荒れる。
・3日間で2回、焼き肉を食べに行く。
・最近、昼はカップラーメンが多い。もうちょっとまともな物を食べなければ、と思う。
・Bluetooth対応のヘッドフォンを買おうと思うが、廉くて良い物が見つからない。とりあえず保留。
・先日書いた「非常識」の記事もそうですが、最近はわりとつまらないこと、というか当たり前のことを考えています。つまらない、というか人生の中で何度も考えてきたことを再び認識する、というような。
・それも、すごく単純なこと二つ。
1.人によって「当たり前」に大きな差がある。
2.何事もバランスが大切。
・昔、ある人から聞いた話で「優秀な人間とは『当たり前』のレベルが高い人だ」というのがあります。
・悪い例を出すと「朝会っても挨拶をしない、呼んでも返事をしない、相手が必要だと分かっている情報でも、訊かれなければ教えない」こういう人がいる。仮に甘木さんとしよう。
・で、僕はそれに対して「何を考えてるんだ」と思うわけです。なんて常識のない奴だ、と。でも、甘木さんにとっては「挨拶しない、返事しない、情報流さない」のが当たり前なんです。彼にとって当たり前だからしないだけ。
・でも僕が普通に思うのは「挨拶する・返事する」これは社会人にとって当たり前だろう、とか。でも「自分から進んで情報を流す」っていうのは、もう少しレベルの高い「当たり前」かもなあ、とかいう事を思う。
・当たり前のことを当たり前にする、というのは実はそれなりに難しい。さらに、社会人を何年か経験すると「『当たり前』のレベル」っていうのがある程度、固まってしまう。こんなもんだろ、というレベルが決まってしまう。
・それじゃあダメなのであって、自分が当たり前にできることのレベルって言うのを少しずつでも上げていかなければいけない。
・そして、そのためには刺激が必要だと思うのでした。つまり、自分よりもずっと優秀な人と接することだなあ。
・あと、音楽に詳しい若い子と話していて気付いたこと。仮に若口君としましょうか。若口くんはかなり音楽に詳しい。しかし彼は打ち込みしか聴かないのです。
・どうもそれでは深みがない、というか。
・世の中には「打ち込みは絶対聴かない」という人が結構いて、了見が狭いと思うのです。しかし反対に「打ち込みしか聴かない」というのもつまらない。
・どっちも聴けば、それぞれを相対的に捉えられる。
・そういうのって例えば、思想や思考にも言えるんじゃないか。バランスの良い思想、それを人はダブルスタンダードと呼ぶんだぜ!しかし、市井の人間が、テキトーに物を考えるのに、一貫性なんて無くて良いんじゃないかと。
・と、こういうつまらないことを考えているのです。
でも、上で書いてることって「バランス」とは若干違うのではないかいな、と思いました。
例えば(極端に性格の異なるものがほかに思いつかないのでこういう例を挙げるわけですが)、マルクスしか読まずに共産主義を唱えるというのは所詮無謀なわけで、プラトンもアダム・スミスもケインズも読んで、現実的に共産主義が崩壊状態にある現状も知ってて、「それでも共産主義」と唱えるというのは、バランスは悪いけど、それなりの説得力があるかもしれません。
平たく言ってしまえば、「ある程度のレベルに達するには、その分野を取り巻くいろいろなことを知っている必要がある」ということではないかと。結果的にダブルスタンダードになる人も、嗜好や思想に偏りが出てくる人もいるけれども。
蛇足ですが「唇が感想」→「唇が乾燥」ですね。
一方では整合性を求めながら、片一方ではテキトーでいいとしてしまう。
市井だからそれでいいはずなんですが、記録に残ると意味が変わりますよね。
そこのところを意識できないのがまた市井だと思います。
出来てる人はほとんど洒落で書いてる感じがありますね。書き文字についてのことですけれども。
>LSTYさんが「バランス」なんて単語を使うとは思わなかった!!
恐らく多くの人にとって意外だと思うのですが、私も一応「社会人」ですので。
バランスについて語るのは、僕がよくする「自分への言い訳」のような物なのかも知れません。言わば「理想と現実のバランス=妥協」のような。
誤字指摘ありがとう。直しました。
>記録に残ると意味が変わりますよね。
それは僕もたまに思います。世界はガセネタで溢れかえっている!そのお先棒を担いでいるのはブロガーだ、という。
僕もものすごく恣意的に文章を書くことがあるんですが、厄介なのは「正しいと思い込んで間違ったことを書く」というパターンですね。それはちょっと恐いです。たまに、というかよくやるけど。