2007年05月02日

4/30-5/1日記(怪しい家庭菜園の初収穫)

Pop is dead.
20070501初収穫.jpg■4/30
・昼過ぎから、近所の鰻屋で一人呑む。
・鰻のあらいとうざくで、ビール二杯。この場合、本寸法は冷や酒でありますが、酒は苦手なので無粋にビールで。店には焼酎もあるが、鰻に焼酎、というのはどう考えても合わない気がする。
・そういえば、関係ない話ですが焼き肉に酒、というのは意外と合います。

・円楽の特番。11年前の「芝浜」の断片が放映されるが、実にひどい。この頃の円楽の芸は「うまい前座」であります。これに比べればさいごの高座の方がなんぼかマシだと、そういうひどい落語だった。
・更にもっと前の高座がほんの数秒映ったが、こちらは良い。この人の落語はほとんど聞いたことがないので完全な憶測だけれど、結局この人は「名人」を目指してダメになったのではないかなあ、と思う。
・圓生師匠の芸というのも、実は「うまい前座」から出発しているような気がする。しかし圓生師匠は鬼のような勉強と研究で「名人」になり得たのだ、と。だけどそんな事は所詮、普通の人間には出来ないことなのです。

・池波正太郎の小説を元にした「梅安料理ごよみ」読み始めるが、実にイヤミな本である。
・何事によらず、うんちくを語る本、ことに「べき論」で語る本というのはイヤミなものですが、例えば僕の感覚では北大路魯山人や伊丹十三の文章はイヤミでない。
・それはまず第一に「語り口」が優れていること。説教というのは、理路整然とやってしまってはただの説教でありますが、面白く、話をすれば法話・講釈・噺になるものです。そして二つめには「体験的」であること。自らの経験から出た「好き嫌い」を語る、それは自信であると同時に「所詮は個人的な経験によるものだ」という謙虚さでもあると思う。
・雑学辞典的に読む分にはある程度便利かもしれないが、ならば雑学辞典を読めばよろしかろう、という感じです。
・しかしこの本、「手本」とするにはいささか軽薄です。

・だいたい、僕の感覚では「いわゆる」を「所謂」と書くのはイヤミである。「それはさておき」を「閑話休題」など、イヤミを通り越して滑稽であると思う。
・しかしそれは飽くまでも個人の好み。事実僕は「やすい」を「廉い」と書き、「情緒」を「じょうしょ」と読む。これは高校生の頃教わった先生の影響だけれど、これも、受ける人によっては随分イヤミなものだろう。
・先生といえば、これは大学生の頃教わった話だけれど、その先生は「焼き鳥を串からはずして食うようなのはいけない」と言っていた。全くだと思う。
・社会人になると、後輩が、あれは気を遣っているつもりなのだろうけれど、せっかく頼んだ焼き鳥の肉をせっせとバラかして「みんなで食べられる状態」にしてしまう。あれは全く、興を削ぐ行為だと僕は思うのです。
・一本の串に刺さったものを分け合う、なんていうのは思いやりではなくて単に貧乏くさいだけだと感じる。

・他に買った本、山田風太郎「奇想小説集」、車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」、パルコ長嶋「ふたなりア・ラ・モード」。最後はエロマンガ。

・夜、米朝の「一人酒盛り」が聴きたくなるが、持っていないことに気付く。
・これは痛い。本で読んだきりで、音源がなかったか。購入決定。

・先日録画したNHKの寺山修司特集を見ていて、そのつながりでシティボーイズ「ウルトラ・シオシオ・ハイミナール」へ。寺山修司は一本持っていても良いような気がするが、どうも買う気がしない。あそこらへんの映画で買うなら鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」か。
・しかしなんというか「アングラ」っていう物について僕は恥ずかしいなあ、とか思うのでした。多分、タモリによる即興アングラ芝居を見たからなんだろうなあ。

・夜「カンブリア宮殿」で書店の話。
・さて、僕は今日思った。「ダメな書店こそ、店頭にパソコンを置け」と。
・うちの近所のクソ書店は、今この時期なのにトマス・ハリスの「ハンニバル・ライジング」を置いていない。
・早く潰れればいいのに。
・クソ書店というのは「売れる本しか置かない本屋」なわけですが、「売れる本すら置かない本屋」なんてのは下の下。あっても客のストレスを生むだけです。
・で、僕はその本屋でずっと携帯をいじってました。「あの本って、なに文庫だったっけ?」ってのをwebで調べてた。
・本屋には情報がなさすぎる。ある本が、どのコーナーにあるか、なんてことも分からんわけです。本屋というのは情報を売る商売ですが、結局それも情報を「囲い込む」ことによって成立するような貧乏くさい商売なのです。
・僕は本屋を愛してきたつもりだけれど、でも今はクズみたいなものだと思う。本屋というのは「開放」の場だ、というのは書店ファンとしては当たり前の認識だと思うのだけど、webと相対的に見た時、今の本屋は「閉鎖」の場だ。
・で、僕は「本屋に置いてあるPCから、Amazonで本を買いたい!」と思ったのだ。クズ本屋は、店頭にインターネット接続できるPCを置いておけ。
・クズ本屋には、買いたい本がない。だからAmazonで買うんだよ。一日一冊、三日で三冊、三冊のうち二冊アマゾン。
・で、端末ごとに契約をしてですな、その本屋からの注文には3%の割戻しとかね、そういう契約をAmazonと結ぶ、とか。
・で、注文履歴を見るとですな、「そのクズ本屋に何が足りないか」ってのが見えるわけじゃないですか。
・クズ本屋に限らず、世の中のクズみたいな店全般に言えることは「自分の店に何が足りないのか」っていう認識の甘さですよ。で、これって「プロの入り口」なんですよ。入り口に過ぎない。でも、そんなことすら認識していないクズ人間が普通に業界人として、社員として平気で働いている。まあ実に緩い話です。
・これ、本屋に限らないです。「俺はこの業界にいる、この業界でプロにならなければいけない」っていう感覚を持ってる人って、20代ではほとんどいないでしょう。あのー、「キャリアアップ」もよろしいが、もっと地に足をつけなさいよ、とか思う。

・ああ、そういえばトングを買いました、料理用に。例えば肉をフライパンの上で返す時、箸でもフライ返しでもいけない。
・少し前になるが「きょうの料理」でケンタロウが「トングのある生活」とか言っていて、ああ、トングあれば便利だなあ、とか思っていたのです。
・ケンタロウは、特別な料理を紹介するわけではないが、なかなか良いものです。非常に若者的でありながら、柔らかみのある料理を紹介してくれる。

■5/1
・怪しい家庭菜園、第一番目の収穫。ラディッシュを一つ、抜いて食べる。辛いがうまい。うまいというか、不思議。
・あの庭に野菜が出来る、というのが不思議である。

・黒澤明「まあだだよ」見て泣く。
・評価の低い作品である。しかし、僕はこの作品を否定するような人とは友達になりたくない。
・そういうような映画です。

・数日前より、蛙の声を聞く。

・良い季節。外に虫の声があり、家の中にかまどの匂いのある季節、また時間、これは良い物だと思う。
・野球が嫌いな私だけれど、夏の夕べ、父親が枝豆を食べながら見ていた野球番組の歓声、ああいうものは風物詩として好きだ。あの金管楽器の音はひどく下品で大嫌いだけれど、あの音が網戸から漏れ聞こえる風情、というのは好きだ。
・そういう季節の到来を感じる。
posted by LSTY | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
まだAmazonがなかった頃って、
都心にあるそこそこ大きな本屋に足を運べば
世の中にあるすべての本が揃っているもんだと思ってました。
Amazonで本が買えるようになって、
世の中にはこんなに本がたくさんあったのかって
びっくりしました。
書店もかわいそうではあるよね。
昔と違って今は出版点数が半端じゃないから
整理するだけで精一杯なんだと思う。
本屋に限らず、最近の店はどこも無味無臭で
個性がないですよね。
「○○を食べるならあの店じゃなきゃ」とか
「あそこは○○の品揃えはすごいんだよ」とか
店にこだわりがなくなってきているように思います。
円楽って声が2枚目過ぎるんじゃない?
やっぱ、落語はガラガラ声に限りますよ。
Posted by LIN at 2007年05月02日 14:00
昔の本屋の中には仕入を問屋任せにせず、店員を東京に行かせて仕入れさせたってところがありますが、今では人件費も高くなって出来なくなったみたいです。
某経済blogで「レストランでドリンクバーが増えたのは、接客の人件費を節約するためじゃないか?」と書いているところがあります。
「売れる本すら置かない本屋」って、ひょっとして問屋が売れる本を送ってくれない本屋ではないですか?
書店業界は問屋の弊害が十年以上前から言われていて、全然改善されていませんが…
んで問屋に依存しない仕入を考えないといけないのですが、冒頭の問題になります。
Posted by てんてけ at 2007年05月02日 23:09
トング、二つ持ってます。
大きいやつはパスタを盛り付けるときも便利ですし、小さいやつは蒸篭を買ったらついてきたんですが、サラダを取り分けるときに使っています。
Posted by Ken at 2007年05月05日 12:13
■LINさん
 結局「中途半端なマーケティング」が書店をダメにしたんじゃないかと思います。安易なPOS至上主義とか。スーパーマーケットなんかだと、まだPOS至上主義が通用するような気がするんですが、本って嗜好品ですからね、単純に売れる売れないで仕入れていたらどんどん書店はつまらなくなると思います。まあ、Amazonがあれば中途半端な本屋は要らないと思うけど。

 円楽の件ですが、辛辣な言い方をすれば僕は正「天性の才能」の問題だと思います。声っていうのも「天性の才能」の一つかと思うのですが、努力によって超えられる才能と、超えられない才能というのがある。これは仕方のないことだと。
Posted by LSTY at 2007年05月07日 13:12
■てんてけさま
 LINさんへの返事ともかぶるのですが、中間流通や小売が「粗利改善」ばかりに目を向けだすと、小売店の売り場というのはつまらなくなりますね。
 問屋の弊害というのは色々な業界で言われていると思うのですが、それは問屋が果たすべき仕事を、彼ら自身がやってこなかった結果でしょう。
 物流・商流・情流と言われたりしますが、一番の付加価値である情流に関して手を抜きすぎているんじゃないか。
 中小の問屋では与信管理もいい加減、さらに物流改革が起これば、問屋の存在価値は皆無と言っていい。大手の商社とそのグループだけに集約されていっても、それは自業自得だろうと思います。
Posted by LSTY at 2007年05月07日 13:20
■Kenさん
 しかし一度も使っていない。というか「トングのある生活」に不慣れなので、使うべきシーンでもそれに気付かず、菜箸でやってしまうのです。
 もう無理矢理「トングを使うための料理」で献立を組まなければいけないんじゃないか、と本末転倒なことを考えています。
Posted by LSTY at 2007年05月07日 13:23
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