
・「大魔神怒る」見る。水戸黄門+巨大ロボ=大魔神だと今更気づく。
・水戸黄門だけだと映画にするほどの迫力がないので、巨大ロボ出してみました、ということだ。
・ドラえもんだけだと映画としてはチンケなんで、恐竜出してみました。っていう「ドラえもん映画の公式」に近い。
・そういえば「のび太の大魔境」の石像は大魔神シリーズに想を得たのだろう。
・初めて意識して「sakusaku」を見る。
・「水曜どうでしょう」にはまった人間は「sakusaku」にもはまる、というジンクスがあるようだけれど、その理由が分からない。
・ただ、最後に歌われた「札幌の歌」は良かった。色々な町や学校の歌を歌っているらしい。
・テレビでラジオ番組を見ている感じ。
■6/5日記
・午後から出かける。
・さすがに電車の中では消音ヘッドフォンの効果テキメン。普通なら絶対に聞こえないような音量でも十分聞き取れるので、特に出力の低い携帯オーディオを使っている人にはよいかも知れない。
・ただ、私は電車通勤はしていないし、ノイズキャンセル機能をオンにすると音質は変わるし、もともと音の良いヘッドフォンとは言えないしで、良い買い物とは言えなかった。
・あと、自分の体が接触している部分からの振動(音)は消えないので、それも気になるかも知れません。
・それから、ハウスというのか、スピーカー部分の可動範囲が狭いのも問題。横に90度、縦に30度ほどしか動かないので、首にかけることができない。
・総合すると「騒音の多い場所でヘッドフォンをよく使い、大きな音量に抵抗のある人」以外にはお薦めできないヘッドフォンです。
・近くのうなぎ屋で呑んで帰る。「うなぎの洗い」という物をこの店で初めて食べたが、鮟鱇の肝のような濃厚さがある。
・深夜、目が覚めて三遊亭圓生「夢金」改めて聴く。良くない。
・私は古今亭志ん生の落語を「買ってまでして聴くようなものではない」と思っているが、それが志ん生師匠の偉大さなのだと思った。所詮落語。そういう粋。
・圓生師匠はその対極にある。
>私は古今亭志ん生の落語を「買ってまでして聴くようなものではない」と思っているが、それが志ん生師匠の偉大さなのだと思った。所詮落語。そういう粋。
この意味に凄く興味あります。「粋」に生きるというのは目標でもあるので、できたら説明していただければ嬉しいです。こんなこと聞くのは「野暮」だとは思いますが・・・。
ん?石仏の町の人ですか?
変な話ですが、私は九州男児って「粋」には生きられないと思ってるんですよ。というか粋なんて求めない方が九州男児はいい男になれる、という感じ。粋について語ることがもう既にモッチャリ気味なんですが、過去記事のリンク貼っておきます。
http://blog.livedoor.jp/lsty/archives/407160.html
志ん生師匠の噺というのは、消費されることを前提にしているというか、単なるバカ話であり、戯言なんですね。その場限りの愉快な話。決して圓生師匠のように「記録を前提にして」噺をしていない。そういう美しさがあります。
まあ私は圓生師匠大好きですが。
ところで、確かにわたくし石仏の町から来た男です。リンクされてたおそばの話も読ませていただきましたが、確かに無理に追わない方がいいのかもしれませんね、「粋」は。
男気あふれるバカではあり続けたいです。
あと、蕎麦の話は以前読んだ時にコメントしようかと思ってやめたのを思いだした。
俺の蕎麦の食い方は多分嫌味だろうから。
でもそれが本当に美味しいと思ってる食べ方だから、何を言われようが変えるつもりは毛頭無いですが。
>たかし
blogとのギャップに吹き出した。
そのエピソードも、僕はあまり好きではないですね。僕としては黒門町のようなプロ根性が欲しいなあ、と思うんですよ。
なんか志ん生師匠を支持することで自分が粋になったように錯覚してる人って嫌いですね。寄生虫のようで。
ただ、それは志ん生師匠が嫌いということでは全くないんですが。なんていうか「志ん生が好きです」っていうセリフをステイタスのように吐く人間が嫌いです。
■ボンバー犬さま
僕も嫌味だから大丈夫ですよ(何が)
そば2枚くらいでつゆを「お代わり」するような客は帰れ!と思う。