
この記事を書いたのはもう2年前か。
先日、「昔のmixiは理想の場だった」的な文章を読んで、僕はウヘェと思ったのでした。コミュニケーションとか情報社会とかに「理想」を見たがる人っているのか、という。
僕はオフライン・オンライン問わず「理想的な社会」なんてない、と思っているので。人間というのは猥雑なものですから、その人間が集まって形成した社会というのは猥雑であって当たり前だ。そこに理想を見るというのは幻想であり妄想だと思う。
で「理想の情報社会」と言えば、はてなという会社には、そういうのを感じます。理想に向かって進む会社、というイメージ。はてなダイアリーにも、はてなブックマークにも、そういう志とか気負いを感じる。
欧米とは別の、僕たちの「理想の情報社会」を作ろう、というような。
でもそれは失敗したわけでしょう。僕自身の解釈では「はてな匿名ダイアリー」の提供開始は、はてなの白旗なんだろうと思う。あそこがこれだけ注目される現状を見ても、当初はてなが進めていた「人間によって知の網を張り巡らす」というような理想は、今の時点では負けているのだと思う。
そして一方では、一部のブロガーやブックマーカーに注目が集まり、情報が凝り固まっている。非常にアンバランスで、これで「理想に近づいている」とは思えない。
話は飛ぶが僕はGoogleに「理想」を感じない。どういう事だろうと思ったら、つまり僕はGoogleに「熱い物」を感じない、ということ。Googleは常にクールでドライだ、という一方的な思い込み。
Googleの信念というのは「人間は情報をつないではいけない」ということなんじゃなかろうか。「情報をつなぐのは、飽くまでも『ロボット』でなければいけない」言い換えれば「情報をつなぐのは『数学』でなければいけない」ということ。
これが、Googleの考える「理想の情報化社会」なのだろう、と感じた。正しい思考ルーチンによって整理された情報こそが、理想の情報社会を築くのだ、というような考え方。
こういうのが欧米的なんじゃないのかなあ、と思うわけです。宗教の違いというか。そして、そういう信念というか哲学になるほどなあ、と感心してしまう。たとえば理想の「国家」には統制する人間が必要だけど、理想の「社会」を作るのはロボットにしかできないんじゃないのか、とか。それはそれで真理なのかも知れない。
と、いうようなことをトイレで考えました。
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