2016年09月06日

映画「シン・ゴジラ」を見た感想と山のような疑問

Pop is dead.
Pop is dead.・「シン・ゴジラ」を見た。元々へそ曲がりなので、周囲が絶賛するこの作品を見に行く気はあまりなかった。だいたいこの映画について語る人の一定数が「先の震災によって得た連帯感」を基盤として話をしているようで不快だったのだ。しかしマコックさんに「じゃあ見に行く必要なし」と言われたことでへそ曲がりが360度曲がって見に行くことになった。

・いやすごい、日本の映画界はここまでのエンターテインメント映画を作れるようになったのか。まず怪獣映画という娯楽作品として第一級だと感じた。そして、これは庵野秀明ならではだと思うが「見終わった時点で終わりではなく、そこを起点として様々な疑問が湧き、また考え続ける事のできる映画」である。
・僕は庵野映画が好きではなかったのだけれど、それは彼の大好きな韜晦というかインテリぶったイヤミな謎かけというか、ああいうものが気に入らなかったのだ。エヴァンゲリオンも、テレビ版では楽しめたが映画版はテレビの煮直しにイヤミな謎かけを加えた感じで好きになれなかった。しかし今回の作品は、まず娯楽である。劇場版のエヴァンゲリオンのように、のらりくらりと観客をかわしている感じはしない。
・見ている間は画面の中の「事実」がものすごいスピードで進んでゆき、気持ちよく見終わった後「謎」が押し寄せてくるという形だ。

・というわけで気付いたことと分からないことを挙げてみた。当然ながらネタバレあり。

・全体的なプロットとしては「弱腰で危機に対応出来ない日本(ゴジラ登場一回目)」が、その危機の深刻さに気付いて「対応を開始するが対処しきれず(ゴジラ登場二回目・タバ作戦)」「アメリカの協力により有効な対処が出来たかに見えたが(B2爆撃機による爆撃)」「それによってかえって危機のレベルが上がって甚大な被害を残し(ゴジラの暴走)」「最終的には日本が自ら危機に対応し、事態の一応の収束を見る(ヤシオリ作戦)」という事か。人間ドラマは描かれないが、こうして見ると日本という「人の集合体」の成長譚になっている。

・ゴジラの第一形態の全貌は見られないが、パトレイバーのゴジラパロディ回に出てくるやつをイメージしてるのか?第二形態はモロに使徒。庵野趣味。

・「ゆきゆきて、神軍」の原一男に「そもそもこの映像が本物なのか」と言わせるのはシャレ。

・第一回・第二回の登場時ともに神社の様子が映るのは、ヤマタノオロチやゴジラの名前の由来と合わせてゴジラと神の関連性を暗示しているのか。そういえばキングギドラも鳥居ナメで出現してたな。

・ゴジラが去った後の落ち着いた良い音楽と、すぐに戻る通常の生活、というのは皮肉だろう。リーダーがすぐに変わるというテーマは同時に、人が死のうが何も変わらないということでもあろう。この映画のテーマを先の震災に重ねたがる人は多いが、むしろ太平洋戦争と戦後、あれだけの人が死んだのにそれを忘れつつある日本というのが主要なテーマなのではないか。
・しかし時代設定が近未来であるのにも関わらず先の震災や原発に関する台詞はなく、震災が起こらなかった場合のパラレルワールドのようにも考えられる事から、震災もテーマなのか。あとゴジラは「凍結」はされたけど駆除はされていないことも、原発事故の抜本的な対策がされていないことの示唆か。

・報道関係者による東京・関東集中に関する対話は実際の首都防衛に関する台詞というより「東京に住んでる人間がマニアックに楽しめる映画」を作った事に対するエクスキューズという要素が強いのだろう。

・石原さとみの役所は惣流アスカラングレーで、その登場から映画が「マンガチック」になる。最後まで全体がシリアス路線だと逆に嘘臭くなるから、石原さとみにそこを吸収させたということか。
・頼りないシンジ(日本)の尻を叩くアスカ(アメリカ)という対比とオーバーラップ。綾波レイに相当する人物は出てこない。成熟した大人の話なので、母親役は不要なのだ。

・官邸前?で行われているデモの団体は「ゴジラを倒せ!」と言っているように聞こえる。反政権ではなく、政権の尻を叩く側のデモである。→12/12訂正:英語字幕付きを見た結果「ゴジラを守れ」「ゴジラは神だ」という反政権側のデモでした。
・一回目には人命優先などの躊躇があったが、二回目のゴジラ登場では政府にそれは感じられない。観客は一回目でたった二人の老人のために作戦が中止されたことにいらだっている。これは中国の領海侵犯に対していらだち、右傾化する今の日本への風刺だろう。
・大杉漣「これより、武器の無制限使用を許可します」が「さあ、ショータイムの始まりだ」に聞こえる感じが良い。この時には観客も人命のことなど考えていない。
・自衛隊が、自衛隊自身で東京都区内への展開を止めるシーンで、やっと人命に注意が行く。「軍の暴走」を描くフィクションは多いと思う中で、このシーンは印象的だった。自衛隊=悪ではなく、運用する政府の問題という事だろう。

・一〇式戦車の超信地旋回と走行しながらの射撃は素晴らしい。見事。

・ゴジラの皮膚のテクスチャ、足に縄が巻き付いているような感じのひだが付いているが、これは諸星大二郎「暗黒神話」に出てくる神々(怪物)に似ている。

・家電量販店のシーン、各局がゴジラのニュースを流している中、テレビ東京だけはアニメを放映している(テレ東であるという確証はないが)

・B2爆撃機、ゴジラに対してステルス性能が必要かと疑問だったが、むしろ日本政府や隣国に感知されないためであって、日本政府が米軍の介入を断ったとしても秘密裏に攻撃を行うつもりだったのではないか。

・ゴジラが最初に炎を吐くシーン、最初はダメージを受けて何か吐いたように見える。

・「呉爾羅」をインターネットで検索して「一件だけヒットしました」という台詞がうまい。たった一言でパラレルワールド感が引き立つ。
・ゴジラの誕生に関しては第一作を踏襲したと言える内容で、他国の原子力運用によってゴジラが生まれor起き、それによって被害を受ける日本という点では同じ。

・ゴジラに近づく飛行物体は撃破されるが、地上を走行する物は攻撃されないというのは不自然。何か設定に理由があるのか。

・休眠中のゴジラから落ちてくるのは血?あとガキッて音がする鱗(?)はゴジラ分裂を示すもの?

・東京都民の避難シーン、ヘリ空母が出てきたがアレは何をしてたのか?

・薬剤の経口投与による血液凝固なんていうトンデモな対策を選んだのには意味があるのだと思う。外科がダメなら内科、ということでもあろうが、もっと根幹に関わる理由がありそう。
・しかし血液を凝固させて冷却停止させたら普通はメルトダウンするんだろうけど、なぜゴジラは凍結されたのか。ゴジラ自身が持つ冷却機能の暴走?

・人の死、個人の死を描くことは徹底的に忌避されているように見えた。原爆の被害写真も原爆ドーム、石の鳥居と「物」の破壊を写した2枚だけである。
・個人としての被害者は出てこない(マンションの家族と、非難する老人くらい)それどころか個人として出てくるのはほとんどが軍人を含む役人と政府の人間で、例えば野党のヤの字も出てこない。政治の描き方が浅いという批判もあるが、正直2時間であの映画を撮るためには「そんなもの描いてられない」というのが本音だろう。また政治的なゴタゴタを描くことで登場人物のキャラクターが強調されてしまう。「ゴジラと、集団としてしか存在しない日本人たち」というテーマが崩れる。

・竹野内豊が「ヤシオリ作戦には不確実性がある」と、核攻撃による攻撃は確実であるかのような発言をするが、それも完全な予断。次回作はゴジラが復活した後、核攻撃がされるがそれでもゴジラは生きている、という話になるか。

・ヤシオリ作戦の時、放射線防護服に迷彩ヘルメットという格好がおかしい。迷彩の意味ないだろ。ヘルメットは仕方ないにしても、あんな目立つ場所の指揮台に葉っぱの迷彩網をかけるのとか変

・ヤシオリ作戦に出てくるブルドーザーは何か?がれきをかき分けるための物という理解で良いのか?

・ラストシーン、科学技術館の六芒星はユダヤ陰謀論を誘発させるための庵野秀明の悪ジャレだと思うが、次回作があるとしてもアメリカが強く関わってくることを示唆しているのか。

・ゴジラの尾の先端、最初は殺した人間を同化しているのかと思ったが、やはりゴジラが分裂しているようだ。広島・長崎の原爆による被害者のようにも思えた。
・凍結される直前のゴジラのしっぽの先端が赤いのは、新しいゴジラを生み出すため、しっぽにエネルギーを集中させているということか。

・マキゴローの死(?)とゴジラ出現の関連は何か。
・マキゴローの妻、石原さとみの祖母が「放射線(原子爆弾)のせいで不幸になった」という設定。マキゴローの孫が石原さとみという設定かと思ったが、違うか。関係があるのに隠すのであれば「おばあちゃんを不幸にした」という台詞はないだろう。
・石原さとみの祖母は広島・長崎の原子爆弾なのではないかと思われるが、マキゴローの妻が遭った放射線に関する事故とは何か?彼女も原子力に関する研究者で、研究中の事故で死んだということ?あるいは彼女の母親が広島・長崎で被爆した影響で、生まれてきた子供(マキゴローの妻)も早世したとかそういう設定だろうか。
・放射能を無害化する研究の結果が、半減期20日の新しい放射性物質ということなんだろうか。

・石原さとみを起用した理由は何か。もっと英語がうまい女優は他に居そうだし、性的魅力以外にも何か必然性がなければいけない。日本とアメリカの関係と、自民党と公明党の対比をオーバーラップさせるため?まさか。本名に「神国」が入ってるからというシャレ?まさか。
・彼女の設定・キャラクター・演技に対する批判が散見されるが、この役がリアルだと、先に書いたように映画全体が嘘臭くなる。本物の日系人が流暢な英語でこの役を演じたら、と想像してみると「ハリウッド的な作り物臭さ」が出るように思う。やはり「マンガ」の部分を吸収させるためのキャラクターであり、また観客がよく知っている日本人の女優であることが重要なのだと思う。
・個人的な感想として、やはり石原さとみのエロさはこの映画の大きな魅力ではあるけれど、この物語の中のヒロインは市川実日子であるように思えた。終盤に見せる笑顔は非常に効果的だ。先にこの映画に母親役は不要と書いたが、この笑顔に母性が集約されている印象

・矢口蘭堂という名前は碇ゲンドウを思わせる。英語での自己紹介で「ランドゥー・矢口」と発音していたのが気になった。何か意図があるのか。

・ヤシオリ、アメノハバキリはヤマタノオロチに関連する語句らしいが、いけにえに該当するものは何か?被害者がいけにえということか、あるいはゴジラが進行する先にいけにえが居るのか。東京を目指す理由がそれか。あるいはマキゴロー自身がいけにえになってゴジラを呼び寄せたということか。
・なぜゴジラは東京を目指すのか。神話との関連で考えると皇居を目指しているという説もあろうが、それではベタ過ぎる。

・エンドクレジットは登場人物その他、3列で並んで流れてくるので全て読むのは不可能(ANIはどこに出てた?防護服着てた人かな)有名無名問わず役者の名前が五十音順で流れてくるのはこの映画の象徴でもある。本編でも有名な俳優が山のように、チョイ役で出てくる。本編の台詞でもわかるように「日本という国には『個人』(またはリーダー)がおらず、名もなき多数の者およびその関係性で運営されている」という意味だろう。
・その中でただ一人、モーションアクターの野村萬斎が一人でクレジットされているのは、ゴジラは「個」であるという示唆か。しかしゴジラは集合生命体のようにも見える。
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