
で、この記事中に出てきた桝田屋食品の「雪んこそば」だけれど、これは何でセレクトしたのか?というと、仕事で知り合った長野県人が「この蕎麦が一番うまい」と言っていたからだ。私は天邪鬼なようで、リアルで会った人に「あれはうまい」とか言われると、ごくごく素直に従ってしまう癖がある。癖というか、それが礼儀というものではありますまいか。
てなわけで10年間以上、数年に一度のペースで「桝田屋食品の雪ん子そば」を取り寄せて食べてみた。
結論:不味い。
いや、クソ不味いというわけではないが、つまり食って食えないほどのものではないが、別になんともない、東京の三流駄蕎麦屋といい勝負、といったほどの不味さ。金返せ!とは言わないが繰り返して買う価値は全くない程度の物である。
乾麺のにおいを嗅いでみると「鳥のエサ」の臭いがする。茹でるとさほど気にならないが、雑穀の臭いだなこれは。「蕎麦の香り」とは程遠い、下賤な臭いだ。まあ蕎麦というのがそのまま雑穀なわけだけど、貧乏な江戸っ子が痩せ我慢で「蕎麦の香り」と讃えたような美しさはそこにない。鳥のエサだ。
そういうわけで痛感したのは「ご当地の味」について「ご当地の人」もっと言えば「ご当地から一歩も出たことのない視野の狭い人」に意見を求めるというのは、無意味だという事ですよ。彼らにとっては「子供の頃から食べているもの=最高にうまいもの」でしかないのだ。視野の狭い人、空間的な経験値の異様に低い人から「この空間で優れたものは何ですか?」という情報を聞き出して、そこに何の意味があるのか?んなもな無いよな、考えてみれば。
こういうこと、分かってるつもりだったんだけど、どうしてもリアルで会った人から「あれはうまいよ」と言われると試してみてしまうという、こういう好奇心と「あの人が言ってたから」と律儀に何年も引きずってしまう性格は自分にとって仇になってるなあ。
それ以前に「〜してみた」という、近年流行りの表現を無批判に使っているWebページには、信用に足る情報などなかろう、と私は一方的に思っている。
ついでに言えば「くらう(喰らう)」って表現を使う人間も馬鹿っぽい。