
・博学な人間はすべからくその知識を世の中に展開しなければいけない。これは持てるものとしての義務だと思うわけですよ。
・しかし「自分が知っていること=自分の中では当たり前のこと」をいちいち他者に説明するのは面倒くさいものなのですね。それに、こと映画というジャンルにおいては「説明するだけの知識を持っていないのに評論家を名乗っている人」も相当いるんじゃないかと思う。説明できないし、下手に説明しようとすると自分の浅学さがばれてしまうので敢えて感覚的な事しか書かない。
・しかし町山智浩は知識を持っていて、それを説明してくれる。これ、偉いですよ。
・しかし彼の話を聞いていて再認識するのは「名作映画ってのは、結局『映画史』の中で重要な映画なんだな」という事であって、見て単純に面白い映画というのではなく、やはり歴史の中での重要性ってのが大切なのだ。
・例えば僕は「市民ケーン」を見てまったく面白くないと思ったんだけど、映画史の中ではすごく重要であって、やはり「名作」という事になってる。
・映画史の中で重要だというのは大きく二つ
1.新しい映像表現手法を使っている。
2.その後多くの映画に影響を与えている。
・ということだと思う。これ、古い名作映画を見てつまらないと思うのは2.のせいですね。どっかで見たことあるわけですよ、ストーリーも「陳腐」なんですよ。その映画オリジナルで、公開当時はユニークなストーリーだったとしても、その後多くの映画に引用・流用されているので今見ると陳腐なんですよ。
・これ、昔(1990年前後)寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」を読んだときの感想も同じだった。「なんだこれ当たり前のことしか書いてないじゃん」と思った。その頃はもう、寺山の考えってのは世の中に浸透しきってたということですね。
・特に「市民ケーン」くらいになってしまうと(僕の中では、一般的に最高の名作とされてる映画は「市民ケーン」か「天井桟敷の人々」という事になっている)その後リスペクトされまくってて、今見ると何も新しさを感じないということでしょう。
・しかし「面白いと感じるか否か」ってのは飽くまでも素人の見方ということです。大人として、そこに甘んじてて良いのか!ただ「映画史の中での重要性」を楽しめるようになるためには圧倒的な知識量が必要なわけで、もうこの歳からキャッチアップするのは無理だろうし、悔しい話ではありますね。