
・僕は自分自身、保守的な人間だと思っているものの最近の日本の右傾化とかネット右翼とかチャンネル桜とか安倍晋三が大嫌いなんだけど、結局「根拠のない愛国心」みたいなのが嫌いなのだと思う。
・どうも自分の価値を「日本人であること」にしか見いだせない人、つまりは自分の能力や実績に自信が持てない人、というのがどんどん増えてる感じがする。周囲の他人と比べて自分の能力に優れた部分が認められないので、まだ見ぬ外国人よりも「日本人だから能力が高いはずだ」と願わずにいられないのだろう。
・で、さらに言うと「愛郷主義」いわゆる郷土愛の強い人間もすごく多くなってる感じがして、これは地方と中央との間での人の流れがなくなりつつあるせいなのかなあ、などと思う。
・以前訊いた話では、田舎では自分の子供が東京の大学に行きたいと言い始めたら「そんなことはやめてくれ。地元の大学に通ってくれたら『自動車』を買ってやるから」と説得する親が多いらしい。烏滸の沙汰であります。経済的な理由からどうしても無理だというのなら仕方ないが、子供が広く世界を見るせっかくの機会を奪うというのは、私が人の親であったらあり得ない選択だ。
・前段が長くなったけど、僕が不思議だと思うのは「インターネットの発達によって一気にグローバル化が進むと思われた『世界』が、どんどん狭くなってくるのは何故なんだ?」という事ですよ。今まで日本に閉じこもってきた私たち日本人が、インターネットで直接「世界」とつながるようになったのに、むしろ人々はより強く「日本に引きこもりたい」と思うようになり、もっと言えば「大好きな『地元』から出たくない」と考え始めている。これは随分不思議な話だなあ、と思っていたのです。
・しかしさっき気付いたんだけど、この問いに対する答えは、何年も前の私自身が出していたのだ。
・以前、例えばリアルな本屋とAmazonの違いみたいな事を書いてたはず。リアルな本屋だと、目当ての本に行き着くまでに、それ以外のいろいろな本が目に入ってくる。しかしAmazonでは目当ての本を検索&ヒットでカゴに入れるだけだから、情報に広がりがない。もっと詳しく言えば「想定外の出会い」がないから、自分の興味の範囲内でぐるぐる回るだけ、という。どこに書いたのか、検索しても見つからないけど、そういう事を一時期思っていた。
・で、今まさに日本国民はそうなってるんだよね。Amazonの後にSNSが登場することも世界を狭くすることに一役も二役も買っている。ブログの時代にはまだ「自分と他人」が居たんですよ。だからまだ「想定外の出会い」ってあったんです。ああこの人、こういう本が好きなのか、とか。
・それがmixiを経てfacebookやLINEがメインストリームとなった今、結局Web上にも「自分とリアル知人」しか居ないというのがデフォルトになってきてる。つまりもうこれ、Web上でもリアルでもコミュニケーションを取る相手は「地元の知人」だけって事でしょう。自分自身の経験と、自分の周りの成育環境も学歴も同じような「地元の知人」の経験を強化しながら生きてるだけなんですよ、そういう人が増えてるんですよ。Webというインフラが整い、SNSというコミュニケーション手段が普及したことで、結局その「強化」の度合がより強まっただけなんですよ。
・まあSNS以外にもAmazonみたいな業者にとっては「自分自身の経験の強化」がマーケティング上都合が良いということも少なからずあるんでしょうが(アルゴリズムを単純化できるので)
・これ掘り下げるともっと色々書けるけど、自分の中で一旦結論が出ちゃったので、とりあえず連休前に投稿しておく。