・6月の下旬から「中等度の鬱」と診断され、とりあえず三カ月休職しています。
・直接のきっかけは、大事な友人の信頼を損ねて関係回復が不能になったことですが、ただ、これは飽くまでもきっかけに過ぎないと、今は思っています。
・もっと重層的に、積もり積もった理由があったのだ、という風に考えているのです。
・実は15年前にも、あることがきっかけで鬱状態になり、一時期休職していたことがあります。ただその時は鬱状態からは比較的早く脱却できた。
・でも今回、そうなる気が全くしないのです。このまま職場に戻ってもまた病気になる予感が満々です。
・いきなり理由を書いてしまうと「インターネットが死んだから」です。より正確に書くと「ブログ文化が死んだから」です。
・僕が職場の辞令をもとにこの田舎(あえてクソ田舎とは書きませんがクソ田舎です)に来たのはだいたい20年前
・当初は初めての独り暮らしだったので、何も考えず自由に楽しんでいたんだと思います。
・そのうち、インターネットが普及し始めた。Amazon.jpの営業開始が2000年ですから、僕が田舎に来て結構すぐに出来たわけですね。
・で、僕は「これは田舎者にとっての福音だ!」と思った。田舎にいても欲しい本やCDが買える。これすげーな、と思ってバンバン通販生活を始めたわけです。
・Amazonなかったら、3年くらいで田舎から逃げ出してたんじゃないかと思う。田舎の本屋には岩波文庫ないからね、つまりそういうレベルの著作物しか手に入らない環境では、僕は生きていけないように思う。
・で15年前に、先述したように一時期、鬱状態になった。
・この時、僕を救ってくれたのはブログだったと思っています。
(ちなみに奥さんとの関係は当時は悪く、一時期別居してた。だから奥さんのサポートは限定的でした)
・本当に精神的に追い詰められていた時期があって、そこを少し抜けた時に、ブログというメディアを知り、自分でブログというものを作ったわけです。
・ブログを作った理由は二つあって、
1.自分が持っている知見を、つまり自分が生きていた証跡を残したい。
2.こういう「どん底の人間」のブログって他人から見たら面白いんだろうなあ、というサービス精神
・この二つですね。で、2.の理由からブログ名は「他人の不幸は蜜の味」としました(悪趣味だという指摘をいただいたので今は変えましたが)
・で、当時はブログがブームだったこともあり、色々反応をもらったり、あとmixiなんかも始まって「インターネットの中での人間の交流」ってのが相当活発になっていった。
・だから、田舎に住んでいても全国各地の人が書いたブログが読めたり「読みやすいブログってこういうんじゃないの?」とかブログ論を交わしたり、映画や趣味の話が出来たり、他人のけんかを仲裁したり、あるいは自分自身が炎上したり、いろんなことがあったんです。
・つまり、当時は「ブログ文化が生きていた」のです。
・田舎に住んでいても、インターネットにつなげば「会話の通じる友人」がいた。
・田舎、というか私の職場には話の通じる、話して面白い人が居ないのです。
・まあたとえば「フェデリコ・フェリーニ」という映画監督の存在など誰も知らない。知ろうともしない。田舎で生まれて田舎で育って、地元で就職する人っていうのは(全員とは言いませんが)本当に興味の幅が狭いし、好奇心も低い。
・極端に言えば「女・車・スポーツ新聞・テレビ」それくらいのものにしか興味がないんです(あと人によってはアニメか)
・でも、インターネットの中には「会話の通じる友人」がいた。
・そういうわけで、そういう人間と人間の関係があったので、なんとなく生きてこれたのです。
・で、今回だ。今回は「もう駄目だな」と思っています。ブログブームは去り、金儲け目的のサイトばかりが増え、SNSには無駄な情報しか流れてこない。
・今、日常的に「会話の通じる友人」は奥さん一人です。
・ブログもTwitterもLINEもYouTubeもやってるけど、今現在、僕から見るとこれらすべてが「コミュニケーションツールとして役に立っていない」のです。僕から見ると、です。
・ただの自己顕示の場であったり、単なる挨拶のための場に過ぎない。対話や会話が続くことなどない。フォロワーなんかが居ても、ただ何度も同じ人とすれ違うだけだ。それは対話でも何でもないのだ。
・ブログ文化が死んで、インターネットは本当につまらなくなった。ただのインフラになってしまった。
・こういう環境では、つまり話し相手が奥さんしかいないような状況では田舎では暮らせない。しかしなんとか今まで暮らしてきた。何も楽しくないけれど、やり過ごしてきた。その負の意識が蓄積されていた上に、仕事のストレスが加わり、さらにそこに先述したきっかけがトリガーになって、ここまでひどい状態になったのだと思います(ここ数日はおかげさまで調子が良く、このようにブログも書けていますが)
・そういうわけで、インターネットという世界が死んでしまったのであれば、リアルな世界で「生きた場所」に住まないと精神がおかしくなってしまう。
・だから今僕は、この田舎からどこかへ脱出することを結構本気で考えています。
【この記事に関連して、書いていただいた記事】
・めちゃくちゃ的確に書いていただいていて、プリントアウトして職場の上司に読ませようかとすら思いました。
田舎暮らしの福音としてのインターネット
コメント大変ありがとうございます。
「モノを書けない人々がインターネットに蔓延っています」
はその通りですね。Twitterとかfacebookやってても思いますはてなブックマークもつまらない大喜利みたいになっていて、見てられない感じです。
やっぱりリアルに生きる場を求めないと仕方ないなあ。
早く上京してカレー屋開いてくださいな。オリパラ終わった後でももちろんいいけど、少しでも早く始めたほうが精神的には良い気がする。金銭的には知らんが。
ネットがこういう風になっちゃってるのは、人類としても不幸だと思いますけどね。
あとやっぱり、自分が「寂しがりや」だって最近すごく分かってきた。今まで「奥さん一人と一緒でいられればいい」と思ってたんだけど、ある程度の知的レベルを持った人と、一緒に居たい。
ひげちゃんも、僕の作ったそこそこのカレーを食べに来てよ。サービスは特にしないけど。
https://note.mu/catapultnote/n/naa4b05adb830
ありがとうございました。すごくよかったです。
↓これなんか、完全同意。
でも10年くらい前のある一時期、インターネットの中にライブ感が充満していた事がありましたよね。ぼくはもう一度「インターネットを、双方向コミュニケーションのある場所」にしたいと思って、大袈裟に言えば使命感をもってやってるつもりなんですがねえ。まあ悪あがきに過ぎないんでしょうか。
趣味の会話のライブ感はチャットやツイッターにはない。「わたしをミテミテ」と「スキスキスキ」というマシンガンをインターネットという無限の空間に撃ち込むだけ。