2019年12月30日

人生の後半に「座右の銘」を得る、という残酷さについて。

Pop is dead.
・「座右の銘って何かありますか?」という質問は、比較的一般的なものだと思う。

・私も、齢五十を目前として、ようやくそのような言葉を持つことになった。
・最近出会った言葉ではない。恐らく20年以上前に初めて眺めた言葉だ。
・そう。「眺めた」という表現が適切だと思う。文字列として認識はしたが、それを自分に当てはめて考えることなど、なかったように思う。つまり知ってはいたが、それから20年もの間、その言葉から目を逸らし続けてきた。

「おまえが思ってるほど、おまえはたいしたやつじゃない」

・これが、その言葉だ。

・つげ義春「紅い花」小学館文庫版に記してある。
・ただしこれは、つげの言葉ではない。糸井重里による解説文の冒頭に登場する一言である。

・最近、ふと思い出したのだ。この言葉を。どの本のどこに書いてあるかさえ忘れ去っていたこの言葉を。
・この歳になるまで、この言葉を自分に向けてこなかった自分の愚かさと、なんというか人生の残酷さのようなものを感じる。

・この言葉は、全ての人にとって真実である。そして、この言葉を自分に向けることから、全ては始まると言っていいだろう。

posted by LSTY | Comment(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
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