2020年06月11日

6/11日記(Webで人脈を構築できるのは10年前に終わった?)

Pop is dead.
 昨日「スヰートポーヅ」閉店の報を受け「これは大変なことだ!」とタキモトさんに架電するが出ず。あの人は電話出ない人なのかな。
 しかし「以前からあり、ずっとそこにあり続けた人気店」が突然なくなるショックったらない。ほとんど泣きそうになった。奥さんとも行きたかったし、B級グルメマニアの友人も連れて行きたかった。それが突然の閉店。泣きそうになる気分も、お察し頂けるかと思う。

 近況続き。精神科のドクターから、夜更かしは避けるよう指導を受けたので、遅くとも深夜0時には寝るようにしている。和室で寝るので、5時台には障子越しの光で目覚める。調子が良ければそこで起きるし、まだ眠たければ8〜9時台に寝床を出る。
 奥さんが作ってくれた朝食。朝一で米飯が食べられる程、健康状態は良好

 そういえば先日、買いっぱなしだった中公文庫「失敗の本質」を一部だけ読む。ミッドウェー海戦で、なぜ日本が失敗したのか。歴史マニアでもないし軍事マニアでもないけれど、ミッドウェー海戦をもって、太平洋戦争における日本の敗北が決したと思っているので、そこだけ読んだ。
 要は、情報戦においてアメリカよりも劣勢だったことに加え、山本五十六の考えていた本質的・戦略的な目的が実戦部隊に伝わっていなかったのが、失敗の主因であろう、という事だった。山本五十六については名将だったとの言い伝えがあるが、それでもこのように「致命的な戦略伝達ミス」があったという事だ。
 だから世の「偉人伝」は鵜呑みにしない方が良い。野口英世は洋行のため恩師に工面してもらったお金を遊びで使い果たしたロクデナシだし、石川啄木なんか蟹と戯れつつ娼婦相手にフィストファックぶちかましてた鬼畜変態野郎だしね。
 山本五十六には、コミュニケーション能力にいささかの問題があった、ということだ。それを踏まえると「やってみせ〜」から始まる名言が、くすんで見える。彼自身を否定するものではないが、人間とはそういうものであり、彼自身そういった名言も遺しているようだ。

 突然思い出した。前の職場で「〜が、男の修行である」という山本の名言を刻んだマグカップを使っている後輩がいた。それを見て私が「男の修行かぁー」と言うと、彼は「昔、山本五十六という人がいまして」と話し出した。一瞬、馬鹿にされているのかと思ったが、彼は大真面目に語っている。確か私より10歳若かったが「そんな人知らない世代」だったのかなあ。そんなこと言えば私だって「平手造酒なんて知らない世代」だし、こういうのは年々スライドしてゆくものなのだろうか。

 まーた話が逸れた。今日の話だ、今日の話。

 吉祥寺と友人と会う約束があり、11時前に出掛ける。早めに着いたので、サンロードの靴屋を見て回る。私は青い服を着ることが多いので、ネイビーの靴を探している。かつ、プライベートではスエード調の靴しか履かないことに決めているので、そういった条件で探すが、なかなか良いものがない。さらに我が家の靴箱は極めて狭小であり、これ以上靴を置くスペースなどない。それらの理由から、購入を見送る。
 高校生の頃には度々吉祥寺に来ていたので、当時から変わった所、変わらないところがなんとなく分かる。本屋の斜向かいにあったと思われるCD屋はなくなっていた(私が初めてYMOの音源を手にした店だ)
 一方で、古書店などは残っている。「嬉遊笑覧」があり手にするが、私が欲しいのは岩波文庫で言えば3-4巻なのに、店頭には1-2巻しかない。これも購入見送り

 我ながら完璧なタイムマネジメントで12時ジャストに待ち合わせ場所に着くが、当該の店舗が臨時休業のため、すぐそこの蕎麦屋へ。後から知ったことだが、彼はリモートワークの昼休み中だったにも関わらず、お酒にも付き合ってくれる。申し訳ない。板わさ、日本酒、鴨せいろ
 彼と知り合ったのは10年以上前のブログであり、会うのは初めて。
 しかしお互いに興味のある分野や好みは知っているし、好みの中での「微妙な違い」も理解し、許容している。「趣味は同じだが、考え方が部分的あるいは根本的に違う」ということを予め了解していると、初対面でも食い違いなく話ができる。

 その中で彼の口から出た言葉に「いまはリアルだな」というものがあった。Webにおけるオープンな「個人対個人」のコミュニケーションは、ここ10年で完全に破壊された。ネット空間で、ある程度 濃密な人間関係を築くことは、かなり困難になったように思う。
 確かに、今は「リアルの時代」だと思う。対して「Web」は「百科事典のようなもの。ただしその大部分は無価値な内容やフェイク」てなものでしょう。

 10年前までに知り合ったブロガーや、mixiの友人の何人かとは、今でも連絡したり、飲みに行ったりしている。それ以外の友人といえば、Webで知り合ったわけではない高校・大学時代の知人か、あるいは「数奇な運命で知り合った友人/知人」である。

 そういう、自分自身の出会いを軸にして考えると「Webを通して、リアルでも付き合えるような友人を作れる時代は10年前くらいに終わった」という事になる。要は「ブログが、交流の場ではなくなった」つまり、jkondo式に言うと『フロー』ではなくただの『ストック』になり、ROM( Read Only Member )しか読まなくなった。フローとしての機能はTwitterに移行したが、Twitterには「コミュニケーションの双方向性や、議論の広がり」や「過去の情報へのアクセス」をうながす機能が欠落している。欠落というか、意図的にそれらを部分的に阻害していると言ってもいい。

 そんな感じで、特に私自身が意図しているわけではないけれど、Webで10年以上前に知り合った友人と会い、話す機会が多い。
 付き合いが長いから信用できる、という理由ではなく、それ以降、友人と呼べるような人とWebで出会わなかっただけのことである。

 帰路、雨。
 帰宅後、ブライアン・イーノ「アポロ」聴きながら少し寝る。起き、しこうして今に至る。

 伯父よりメール。事業用Twitterメンテナンスなど
posted by LSTY | Comment(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
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