
そういう「議論に対して正しい価値観を持っている人」が議論をしようとすればするほど、どんどん泥沼化してゆくものだ、と僕は最近思うのです。
なぜなら、
■議論の多くが「好き嫌いの衝突」でしかないから。
■「好き嫌い」は議論の結果ですぐに変わるようなものではないから。
以上「ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由」より
■日本人にとって「理解」とは、コミュニケーションの「結果」ではなく、その「前提」だから。
■多くの批判の目的が「お前はバカだ」ということを被批判者に認めさせることだから。
■そういう風に上から見下されると、更に上から相手を見下したくなるから。
以上「『批判や反論……オトナの対処法は?』正式出品作品」より
■被批判者たるブロガー自身、「理解されていること」を前提に考えてることが多いから。
以上「自分が言ってることを大雑把に、敵が言ってることを丁寧に読んでみよう」より
■批判者の目的が「被批判者に勝つこと=こき下ろすこと」であることが多いから。
以上「批判に対する良い反応・悪い反応」より
すいません、手抜き記事です。でも、そういうことだよな、と思っています。
付け加えるなら、
■批判者も被批判者も、「事態を収束させるための議論」をする努力をしないから。
なんで些末な揚げ足取りばかりするのだろうか。
特にブログ上での議論は、感情的な主観的な批判によって始まり、更に議論の受け手も感情的になってしまうことが多いので、そこに「理想的な議論」を持ち込もうとしたって、どだい無理がある、ということです。私自身は、いわゆる正しい議論というものが好きですが、議論が上記のように始まった場合、「正しい議論」は有効ではないと思うのです。
以上、ここの記事を見て思い出したのでしつこいかなと思いながらまとめてみました。
・なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ
さっき書いた記事、その使い方とすッげー似ていて、笑った。
>なんか最近、ブログ上での議論についてイロイロ言うのが流行ってるんですか?
そうなんですか?
ぢゃあ僕もブームに乗り遅れないよう、がんばってメタ議論するぞぅ。(笑)
>特にブログ上での議論は、感情的な主観的な批判によって始まり、更に議論の受け手も感情的になってしまうことが多い
繊細で傷つきやすい心を持つ日本人には、議論は向いていない。
だから、
1.議論するな。
2.もっと強くなれ!
3.エポケー(≒来談者中心療法)的な対話を心がけよう。
の、どれかになるのでしょうかねえ。 でわでわ。
↓以下マジレスカコワルイ。
理想論を語り過ぎっていうのは正直おっしゃる通りですねー。
うちもそんな感じです。
ただ、理想論っていうのはプラモデルとかジオラマみたいなもんで、
組み立ててみること自体が楽しいって側面もあって書いてはいるんですが。
なんとなく納得のいく理想論が書けるといい気分になります。
実は僕、ガンダムはプラモでしか知らないなんていうのは秘密ですよ、絶対に。
TAKOさんが別のところで言っていた「理想を語り続けるのは重要」というのももっともなんですけどね。大衆に理想を語っても、まさに「馬の耳に念仏」であって、馬は理想を説く前に「はいどう、はいどう」と言わなきゃならんわけで、、、
って、ひどいこと言ってる?俺。(笑)
まじめな話。日本人は「受け入れる」事に慣れていないんですよ。「なんとなくなし崩しで取り込まれる」事には慣れているんですが。
これは皮肉ではなくて、そういう民族なのだと思います。
かっこわるくないですよ、大丈夫ですよ、マジレスもできねぇ馬鹿は出入り禁止ですから、ここ(笑、といいつつ少し本気)
理想を組み立てるのが快感、というのは僕にはあまりないですが、わかるような気もします。
理想と妄想に生きるという意味で、モヒカン族に続いて「将軍様」と名付けましょう。
僕としては、理想的な構造をまず考えるよりも、人間の行動原理から組み立てていった方が、現実的だし、たぶん面白い物ができるんじゃないか、と思ってます。
仕事に関しても。
けっこう見下すような事しか出来てなかったかもなあ
多分一度もこんな事考えた事無い
>批判者も被批判者も、「事態を収束させるための議論」をする努力をしないから。
これすごくあると思います。
口頭の議論なら、論者が対面しながら、同じ時間をすごすことを強制されるので、気まずくなっても逃げ出せず、何とか収束へ向けた努力が行われると思うのですが、
インターネットだとそういう時間的拘束が論者の間に無い状態でコメントを投げ合うわけですから、逃げようと思えば簡単に逃げられるんですよね。
そこら辺の、無責任になれる自由さというか逃げ道が、
>事態を収束させるための議論」をする努力
をしない原因かなと思います。
>まさに「馬の耳に念仏」であって、馬は理想を説く前に「はいどう、はいどう」と言わなきゃならんわけで
そのための儀式として、「知らない人からのトラバ禁止」や「トラバ事前コメント必須」などのムラビト的オレ・ルールが開発されているのかも?
それらのローカル・ルールに乗って、「静まれ、黒王号よ。」となだめるか、「面倒くさい駄馬に用はない。」と黙って帰るか、の違いですかね?
って、ヒドイこと言ってる? me too.
>日本人は「受け入れる」事に慣れていないんですよ。「なんとなくなし崩しで取り込まれる」事には慣れているんですが。
狭い範囲での小競り合いには強いけど、外圧(お上とか米国とか)には弱い民族。ということですか。 もしくは、取り込まれた後で能力を発揮する民族。と言えるかもしれません。 でわでわ。
こんにちは。
しかしまあ、僕もこういうことを書きながら、変なことを言ってくるやつに対しては「見下しながら歩み寄ってるフリをする」術を使うことが多く、そっちの方が嫌なやつではあるよなあ、と反省しています(うそです、反省なんかしてません)
こんにちは。コメントありがとうございます。
なるほどですね。いざとなった時逃げられるから、収束させない。収束とは言い換えれば妥協ですからね。
しかし、逃げられるから好きなことを言って議論を台無しにする人って、何のために議論をしているんだろう?その真意は、掲示板における荒らし君と同じなのではないかな、と思います。
僕も、馬鹿は基本的に放っておく方なんですが、ブログとかやってると、馬鹿にからまれたりするでしょう、まあこの記事は「馬鹿にからまれた時の対処法」みたいなものですよ。
って言いすぎですが。
でもある意味「怒ってる人」ってみんなその時は怒りで頭が変になってるから、馬鹿なのかもしれない、とか。
これは本文中の、議論の始まり方と絡んできますが。
なんとか収束するようにコメントを入れることがあります。
焼け石に水をかけるくらいの効果はあるんじゃないかな…。(え?)
あ、静かな水面に石を投げることもよくやってるかも…。
あ、うそです。
Leftyさんの性格、というかブログ上での立ち居振る舞いはものすごく女性的で、ブログ向きだと僕はかねがね思っています。
女性が運営するブログに人気が出やすいのは、男の下心のせいだけではなく、その「応対の柔らかさ」の影響が大きいと考えているのですよ、私は。
そういう意味でLeftyさんには、ある種の才能があると。
と、ここまで考えて、ブログとエゴグラムに関するネタを思いついた。
■えっけんさま
うそですね、明らかに(笑)