2005年09月27日

ブログの持つ致命的な問題点

Pop is dead.
DOB_devil(byTakashiMurakami) 某所で「チラシの裏にでも書いておけば良いのでは」というコメントをいただきまして、なるほど、と思い当たることがありましたので。
 確かに僕は、チラシの裏に書けば良いようなことを、よくブログに書いている。
 なんでチラシの裏に書かないのか、と言えば結論は簡単だ。

 チラシの裏に書くよりも、ブログに書いた方が楽だから。

 早く書けるし、筆記用具を用意しなくても良いし。ブログ書くのって楽だ。

 あるメディアにおける「表現者」が多くなれば多くなるほど、そのメディアの持つ価値は下がるような気がする。無用な情報・些末すぎる情報や、コピーされた情報、無能な者の発した情報で埋め尽くされ、メディアは価値を失ってゆく。

 かつて「ホームページ」が大流行した時も、同じような状況になったのかも知れない
でもホームページを更新するのってめんどくさいんだよね。FTPとかね、あれめんどくさい。
 更新がめんどくさいから、一時のはやりでwebページ持ってみました、っていう人は離れていった。そうして淘汰が進み、一概には言えないけど「良いページ」が中心に生き残ってきた、という事なんじゃないか。

 でも、ブログは、めんどくさくない。戯言書いてボタン一つ押せば更新される。特別に伝えたい事じゃなくても、チラシの裏に書くのよりも楽に書けちゃうんだから、めんどくさくてやめる、って人は相当少ないんじゃないか。

 そうなると淘汰されないんだよな。ダメな情報で埋め尽くされる。そうやって、ブログというメディア自体の価値が下がっていってしまう。そんな危惧。

■この記事に頂いた面白い反応
・「明日は明日の風が吹く」さま←短いけれど実に本質的だと思いました。
この記事へのコメント
ん〜、、でもそれはやっぱり「情報の受け手・読み手の質」に依存する問題であって、TVに出て発言できる人間の数は作家・ライターやブロガーの数より間違いなく少ないけれども、TVで発言している人間が全て有能でまともなことしか言ってないかと言えばそうとは言い切れないし・・・

ブログにおいても、「ある程度」は自然に淘汰はされているのかなとも思いますが。ただ、ブログ−ネットの致命的な弱点は、コピー(アイデアや意見の盗用剽窃も含め)が容易過ぎることですよね。
Posted by ncd108 at 2005年09月27日 23:40
■ncd108さま
 コメントありがとうございます。
 しかし、本当にコピー&ペーストブログ多いですね。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%90%99%91%BA%91%BE%91%A0%81@%8Ds%82%AB%82%BD%82%A2%82%C5%82%B7%82%E6%81@%97%BF%92%E0&lr=

 しかもそのほとんどが、コピー元に全く触れていない。こういうのを「クズブロガー」と言うのだな、と。
 自分がブログやってなければ「ブログなんかなくなれ」と思いますね、この状況を見て。

 確かに表現者の数と情報の質はきっちり比例する物ではないと思います。でも、表現者が「ある一定量」よりも多くなると、急に質の低下が進むのではないか、と思うのです。これはmixiのコミュニティーなんかを見ていて経験的に感じているだけですが。
 読み手の質、までは考えていませんでした。
Posted by LSTY at 2005年09月28日 08:55
>でも、表現者が「ある一定量」よりも多くなると、急に質の低下が進むのではないか、と思うのです
毒性学(に限る必要はないですが例えば)における「閾値」と同様の考え方、でしょうか。非常に興味深い視点ですね。(社会学ではそうでもないのかなぁ?世論の形成のされ方などは事細かに研究されてますし)
千人単位以上の規模の大きいSNSがどれくらいあるのか知らないけれど、調査できたら面白そう。

コピーの問題について言えば、難しい・デリケートなのは境界線の見極めでしょうね。
何かモノや出来事について自分の意見・主張を述べるといっても、大雑把な方向性は実はそんなに大差なかったりもする。

一方で、その自分の意見・主張を述べる対象について、述べるかなり以前から文献メディアを通じて勉強していた場合、そこで勉強して記憶していた有識者の意見や主張が、「自分なりの理解のしかた」はあるにせよ無意識のうちに刷り込まれて似たような言葉で再生されることも間違いなくある。
意見・主張の部分的なorコアな表現を殆どそのまま記憶して間をおかず出力した場合は「受け売り」と言ってもいいかもしれないが、一応自分なりに噛み砕いて納得してちょっとは敷衍してみたけどやっぱり不可抗力で似たような言葉になってしまった場合は剽窃と言えるのか。

著作権では必ずといっていいほどこういうことで揉めますけどね。ほんま、難しいっす(苦笑)
Posted by ncd108 at 2005年09月28日 13:36
■ncd108さま
 コピー&ペーストはね、そういう話以前のレベルで、ひどい蔓延の仕方をしています。
 最近、僕自身が広くブログを見ていなかったので気付かなかったんですが、実際はすごい広がり方なんじゃないか、と。
 情報が多すぎるから、みんな情報を読むのに必死で、解釈までできないんでしょうね。その結果の行動がコピー&ペーストなんだろうと思います。
Posted by LSTY at 2005年09月29日 17:24
ふむ・・・『むだづかいにっき♂』のえっけんさんも以前、「ニュースへのリンクをただ貼り付けているだけ(せいぜい一言コメントつけるだけ)」のブログを批判してらっしゃいましたが、そういうブログの数が実は相当多い、ってことでしょうか。

私は今新聞とってなくて、ネットでニュース見るのとHDDレコーダーにニュース番組勝手に落とさせてるのとでカバーしてますが、それだけでも結構大変ですからね。情報が多過ぎるというのは、ブログ始めて特に、実感としてありますね。

自分の仕事や生活に直結するニュースは取り入れる必要があるからしょうがない。でも、新聞やニュースサイトで取り上げられている様々な分野のニュースの中で、人間が社会的な存在である以上は間接的にはどれも自分と関係ないとは言えないけれども、それでも自分の生活現実には殆ど影響がない、知ったからって・知らないからって実際自分の生活がそう変わる訳でもない情報ってのはやっぱりある訳です。

「人間は社会的な存在」ってのがネックで、ここでの「社会」の定義解釈をどんどん広げていくと、何でもかんでも知ってなくちゃいけなくなって、立ち行かなくなる。それでも社会には日本だけでも1億人以上の人間がいて、自分の見えないところで絶え間なく活動や出来事が生成されて、間接的には(実際影響があろうとなかろうと)関わってくる可能性がでてきてしまう。
だから完全にシカトもできなくて、『情報を読むのに必死』『その結果の行動がコピー&ペースト』ってことになるんでしょうかね。

でも情報を「そのまま」なぞるのは本末転倒でしょうね。「考察」までしなくても、その情報が自分にとってどういう関わりや意味があるのかははっきりさせないとそれこそ時間と労力のムダ。「関係ない」でも、そう自分で認識できればその時点での意味はありますから。「関係ない」は、「関係がないという関係を選択した」ってことでもありますし。

テキトーな長文ですみません。そぬうちこの話はエントリーにでもしようかな(笑)
Posted by ncd108 at 2005年09月30日 16:19
■ncd108さま
はいどうぞ。
http://lsty.seesaa.net/article/5421770.html
Posted by LSTY at 2005年10月04日 10:27
すいません。頭悪ぃのでLSTYさんのレスをどう受け取っていいのか困っております。私の書き込みに対するレスは、リンク先のLSTYさんのかつてのエントリーで済んでますよって解釈でいいんでしょうか?
Posted by ncd108 at 2005年10月05日 18:39
■ncd108さま
 現代のように、情報が必要以上に存在している世界では、情報をとりあえず受け取って反応する、なんて機能は人間に求められてないんじゃないか?ということです。コピー&ペーストしかできない人って言うのは、そういう部分の認識が欠落していたり、認識が甘かったりするのだと思うのです。
 で、多分ですが「間接的に自分に関わりのありそうな情報」って、実は9割方、関係なかったりするんじゃないかな、とか。
 100の情報に触れて10考えるより、10の情報に触れて100考えた方が、ずっと良いと僕なんかは思うのです。ある意味それだと非効率だけど、自分と、自分の脳の存在価値を高めるためには、そっちの方が絶対良いと思うのです。
Posted by LSTY at 2005年10月06日 16:36
なるほど。一応理解できました。わざわざご説明頂いて有難うございます。

>「間接的に自分に関わりのありそうな情報」って、実は9割方、関係なかったりするんじゃないかな
これを考え出すと、「そもそも関係あるなしの客観的に認められる境界線はどこ?」って難しいことを決めないといけなくなるので、実際大変なんですよね(苦笑)
まぁその「関わり」というのを、「法も介入できる程度の現実的な利害」ぐらいにすると、確かに関係ないと言える情報は随分増えそうですが。

>10の情報に触れて100考えた方が、ずっと良い
これは私もLSTYさんと同じ(似たような)考えであると思います。
生活や仕事や人生に関することを「計算する」の「考える」ではなく、そういう卑近でない世の中の情報が、自分にとってどんな関わりがあるのか、或いはその情報が何を意味・示唆しているのかってようなことを「考える」のは、はっきり言って「面倒」ですからね。

人間が素早くアクションを起こせる時というのは本当に直接的で分かり易い"目先"のことに対してなので、多分「関係ありそう」ぐらいでは頭も体もなかなか動かないと思うんです。
おそらく、自ら意識していなければ、普通の人間は触れる情報が10でも100でも、その1割くらいしか考える意志やパワーはないかもしれない。仕事・生活に追われていてヘロヘロになっていたら、目先でない優先順位の低い間接的なことなんかどーでもいいってなってしまう。

「考える」も「それを表現して文章にする」も、「好き」や「慣れ」がないと続かないしんどい作業だと思います。「関係なさそう」な情報なら尚更。

で、コピペしかできない人ってのは、その点で言えば、おそらく最初からそうする(反応するだけ)つもりの人は少なくて、頭の中で何か考えてはいる(主観的)が、最終的に文章(客観的)にならないってパターンが結構多いんじゃないでしょうか。
LSTYさんの7/28のエントリーはまだきちんと把握できてないので、エントリー中のキーワードを使って説明はできませんが。

・・って又長いですね(汗)レスはご面倒であれば放置しておいて下さい。本当にこのテーマについてはそのうち自分でも書いてみようと思います。
Posted by ncd108 at 2005年10月07日 04:21
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[日常] ブログの持つ致命的な問題点(他人の不幸は蜜の味)
Excerpt: ブログは、めんどくさくない。戯言書いてボタン一つ押せば更新される。特別に伝えたい事じゃなくても、チラシの裏に書くのよりも楽に書けちゃうんだから、めんどくさくてやめる、って人は相当少ないんじゃないか。..
Weblog: 神コップBloG_ver.?
Tracked: 2005-09-28 14:29

【エッセイ第18回】誰でもできる「何か」はやっぱり「何か」で終わる程度である
Excerpt: 以前、LSTYさんのブログ『他人の不幸は蜜の味』の「ブログの持つ致命的な問題点」のエントリーにおいて、コメントを幾つかさせて頂いた。 私の知識と理解力が半端なせいで、私が以前そこで書いたコメントは少々..
Weblog: lien
Tracked: 2005-11-01 20:47