
・テレビを見ていて、本を読んでいて気付いたこと、感じたことがあると、今まではテキストに書き留めていたが、嫁がいればその場で言う。
・そんなわけで、思考をメモする習慣がなくなってきた。
・先日も以下に書くようなことに気付いたが、嫁にすぐ話したので忘れてしまう。忘れないうちにメモ。
・「新日曜美術館」にて、陶芸家 樂吉左衞門による茶室の特集。
・実に素晴らしい茶室であって、これは見なければいけない、見るというか、そこに座らなければ何も分からないだろうと思う。そういうわけで、滋賀県の佐川美術館に、春になったら行こうかと思う。
・この番組を見ながら一つ気付いたこと。
・「利休」という三國連太郎主演の映画がある。勅使河原宏と赤瀬川原平の脚本による、素晴らしい映画だが、その中で、利休と豊臣秀吉の美意識における対立が描かれる。
・黒い茶碗と赤い茶碗、どちらが優れているか、という対立。言うまでもなく利休は黒い茶碗を愛し、秀吉が好んだのは赤であり金であった。彼は黒の陰気さを嫌う。
・この映画を見た時、僕は「黒の方が良いに決まってるじゃないか」と思った。そんなの美意識における常識、少なくとも中世以降の美意識においては常識なのではないかと。
・しかし今回、樂吉左衞門が設計した茶室の映像を見ていてふと気がついた。中世、というか近代以前の日本というのは「暗かった」のだと。
・当然の事ながら、夜になれば闇。そして日本は多雨であるから、日中も薄暗いことはよくある。
・今のような冬の時期、雨の日に一日電灯をつけずにいると、恐らくそういう感覚が分かるのではないか。当時の人たちはそういう世界に生きていたわけで、そうであれば当然、光に対する嗜好、色に対する嗜好は今とは違うはずだ。
・だから当時は、赤の方が美しかったのではないか。自然光を取り入れただけの薄暗い茶室で、黒茶碗で茶を飲む、というのは今我々が思っている以上に暗く、陰鬱なことだったんじゃないか。
・そんなことを思った。
・そういう意味では、現代というのは最も「黒」という色が広く愛されている時代なのだろう。
・以下、最近の出来事など。
・この冬は雪が多い。たいして積もらないが、雪の降る回数としては私が生きてきた30数年で最多ではないかと思う。
・嫁が職を辞し、専業主婦となる。1週間も家にいると退屈で仕方なかろうと思う。しばらくしたらまたどこかに働きに出ると思うが、暫定専業主婦。職場から家に帰って、すでに家が温かいというのは良い物だと思う。
・先日、通信販売で注文していた翁達磨の蕎麦が届く。同僚数名を招待して食べてみるが、期待ほどのものではない。
・市販されている平均的な蕎麦よりはおいしいかも知れないが、私がいくつか食べ比べて「これが良い」と思った、株式会社しなの「信州戸隠ざるそば」と素材主義「めんつゆ」(ヤマキ製)の組合せと比べてみた場合、大差はない。
・素材主義のめんつゆはあまり見かけないので、普段はヤマキ製の普通の濃縮つゆを使っているが、それでも悪くはない。かえって「そば屋のこだわりめんつゆ」という風な名前を付けたものの方が甘ったるかったりトゲがあったりでよろしくない。
・参考:あんたジャージでどこ行くの: 廉くおいしく家で蕎麦を食べる(7/26追記)
・最近はガチャガチャ「カプセルプラレール」のトーマス版にハマっている。ガチャガチャといえども、なかなかに精巧である。スペンサーが欲しいのにジェームスばかり当たる。
利休

・「利休」はDVD化されていないようだ(リンク先はVHS)。こういう事実を知ると、日本人の民度の低さを見せつけられるようで辛い。
利休鼠や利休白茶みたいな彼の名前が冠された色。ああいう微妙な色彩ってないですもの、日本以外には。
この記事書きながら思ったんですけど、やっぱり僕が思う「日本の美」って「利休の美」なんですよ。そういう事に気づけたのは大きいです。
ミシマだムラカミだ言ってる場合じゃないですね。
昔の人と今の日本人では、見える色が違ったんでしょうね。自然光を浴びる時間も違っただろうし、それに伴って家具調度の色も違ったはずで、そこまで環境が違うと、色彩感覚というより神経その物が違ったと考えて良いんじゃないでしょうか。