僕の学生の頃の口癖は「だからダメなんだよ!」であって、今でも大して変わってはいない。基本的に僕の生きる力、活力は否定や、嫌悪、怒りから来ている。
元の人格がそうなのでweb上でも「そんな事やってるからダメなんだ」とかいう否定をよくするわけだけれど、それに対する反応を見ていると、世の中には「自分が否定される事」に慣れていない人が多いんだなあ、と痛感する。
つげ義春の選集の、たしか小学館から出ている文庫版の巻末に、糸井重里が文を書いている。その中に出てくるのが「お前は、お前が思っているほど大した人間じゃない」という一文。糸井重里は好きではないけれど、この一言は大切な言葉だと思う。
僕はたまに、この言葉を思い出して「否定慣れ」の訓練をしておく。
「こうしたら」「ああしたら」と一生懸命、アドバイスすると
「そういうの求めてるんじゃないんだよね」といわれます。
「え、じゃ、何、求めてんの?」というと
「ただ、聞いてくれればいいのよ」といわれ萎えます。
つまりアドバイスされると否定されてるみたいな気がするから
黙ってうなずいて肯定しろって事なんでしょうか?(笑)
糸井さん、このあいだ、『ガキの使いやあらへんで』で
バス釣りしてましたねー。
女の人の場合特に「相談する時には結論は出ている」って言いますよね。
>黙ってうなずいて肯定しろって事なんでしょうか?(笑)
少なくとも、女の相談をそうやって聞く男の方がもてるような気がする(笑)
>バス釣りしてましたねー。
あの番組、釣りしかすることないのか!?往年の面白さを知っているだけに、モリマン山崎対決以降の凋落ぶりには目を覆いたくなります。
で、人のblogで自分語りをしてしまう自分を否定すべきかどうか迷いながらコメントを投稿してしまうような日々です。
なんにせよ、「ダメだ」と言うだけで終わるような人間にはなりたくないですね。他人に対しても自分に対しても。
あの一連のコメントに対すしてLSTYさんが行った言及の中で凄く俺のハートにスパーキングだったのが、記憶があいまいですけど「頭が悪くて能力もなく工夫も努力もしない奴等を見ていると本当に腹が立つ」といったようなものでした。ああ、この人は本当に優しいんだなぁと思ったわけです。自分なら腹をたてるほどちゃんと意識をしてあげないなぁ、なんてことを。
優しいと言うんじゃなくて「どうせ書くなら、何か効力のあることを書け」と思うんですよ。面白いことであったり、相手を傷つけることであったり、書くに値することを書け、と。
例えば今日も「嫁って書いてるけど、嫁なんていないんだろう」という馬鹿コメントが入ったんですが、そう思うんだったら過去ログ全部読んでおかしいと思う所を拾うくらいの努力はしろ、と。努力なしに気の利いたことが書けるのなら良いんだけど、そういう才能がないのなら、地道にストーキング行為にでも精を出せ、と。
そういう馬鹿を見てるとイライラするんです。
元記事はこれですね。
http://metalsty.seesaa.net/article/23248446.html
気の利いたことが書けなくてごめんね。
過去ログ全部読んでいるのに読んでいないフリをしてごめんね。
努力しているのにしていないフリをしてごめんね。
馬鹿を演じていてごめんね。
むかつく馬鹿を演じていてごめんね。
ある目的のために演じているのだけれど、演じ切れなくてごめんね。
あと1週間ほど粘着する予定だけどごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
ざまあみろ。
真性引き篭もりhankakueisuuさん、無断でパクってごめんね。
誰がテメェの過去ログ読むかっつ〜の。
なにしろ俺様レベルの大馬鹿野郎になるとな、
この「半熟」クラスの駄文だらけの過去ログ読むのは
一行読んでは、眩暈が起きる。
二行読んでは、吐き気を催し。
つまりその行為は「憎いし苦痛」なんだぜ!!
だから「過去ログ読め」って奴は、イライラするんです。
せめて「過去ログ検索しろ」って。