・できた!
サボテンにクリーム - 小説家になろう「小説家になろう」の規約は結構厳しく、この作品がR18認定されたので上記からは削除、こちらに直接投稿することとしました。
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「あー、のどかわいた」
彼女はシーツを跳ねのけてまっすぐ冷蔵庫まで歩き、ペットボトルに残っていたミネラルウォーターを飲み干す。
「あっつ!」
多分、わざとらしく手のひらで顔をあおいでいるんだ。
「だったらクーラー入れればいいのに」
僕はうつぶせになって、彼女の方を見ずにつぶやく。
「うるさいなー」
シーツをはがされた僕は、ほかにすることもないので彼女に連れられてバスルームに入り、二人で冷水のシャワーを浴びる。
「つめたっ!」
熱いの冷たいの、うるさい子だ。水なんだから当たり前じゃないか。
「きもちいいーねー」
返事をする代わりに口で彼女の言葉をふさぐ。これで水音だけになった。水の音を聞いている時間が一番だ。
「砂漠でね」
キスが終わった途端にまたおしゃべりが始まる。少し彼女の目を見る。セックスの最中以外で彼女の目を見るのは今日二度目だな、と思う。
「砂漠でさ」
「うん」
「ラバなんかに乗ってさ」
「ラクダじゃないの」
「そか、ラクダか。ラクダに乗って旅しててさ、飲み水がなくなって、ほんとに死んじゃいそうになった時、どうすればいいと思う?」
「スリー・アミーゴスの話?それともアラビアのロレンス?」
「なにそれ、知らない。だから、どうすればいいと思う?」
「うーん、オアシスを探すとか、そういうこと?」
「そんなの、探してる間に死んじゃうじゃん。違うよ、サボテンだよ」
「なに」
「サボテンをさ、食べるんだって」
「あー」
なるほど、と思いながらもう一度、水音に耳を澄ます。水を出しっぱなしにしながら砂漠の話か、こういうの植民地主義って言うんだっけ、違うか。と考えていると彼女はキュッと栓を締めて、一人で部屋に戻ってしまう。
僕も我に返ってバスタオルを取る。
部屋に戻ると彼女はもう下着を着け終え、パンティストッキングの位置を調整している。
「ちょっと待ってね、すぐ済ますから」
パンティストッキングというのは、ああいうふうに履かないと位置調整ができないものなのだろうか。だとしたら、どんなにきれいな女優やアイドルでも、パンティストッキングを履いていたら、それすなわち「ガニ股になっていた」と考えて差し支えないのだろうか。
そういう事を考えながらテレビを見てたら興奮できるかな、などとつまらないことを考えながら身支度をし、ソファに座って彼女の後姿を眺める。
「だからね」
ヘアスプレーをかけた髪の毛にブラシを入れながら、彼女が突然いう。
僕は、ガラスのテーブルに頬杖を突いたまま黙っている。
「だから優しいんだよ、本当は」
女の話には脈絡というものがない。ジャンキーが書いた小説のようだ。
僕は少し腹を立てて、彼女に聞こえないように静かに息を吸い、溜息をつく。
「優しいでしょ」
「なにが?」
「だから、サボテン。聞いてた?」
聞いてたよ、男は、女が思ってる以上にちゃんと話を聞いてるんだよ。サボテンかよ、さっきの話の続きかよ、だったら主語つけろよ。
ちゃんと「だから『サボテンは』優しいんだよ、本当は」と喋れよ!
「トゲあるけど、ほんとは優しいんだよ」
「そういうの、優しいっていうのかね」
「優しいんだよ。てゆうか、トゲだらけなだけで、誰の役にも立たなかったら、存在価値なくない?はい、準備できたよ」
僕は立ち上がって、なんとなく釈然としない気持ちで彼女に軽くキスをする。
彼女は何かに納得したような表情を見せてから立ち上がる。
ホテルを出て少し歩き、ビルに入る。この中にレストランがあるのか疑わしいような、愛想のないビルだ。
最上階に向かうエレベーターの中で、彼女はすました顔をして僕と目も合わさない。怒ってるわけじゃない、いつものことだ。
「だって、その方が料理に集中できるじゃん」
たしか、三回目にセックスをした後に彼女が言った。いや「たしか」じゃなく、三回目の時に言ったんだ。
その日は神楽坂の小さな店でおそろしく旨い四川料理を食べた後、理科大の裏にある静かなホテルで夜と朝、二回セックスをした。ホテルに向かう道すがら、二人はずっと欲情していて、坂道や階段をキスしながら歩く危なさと楽しさをあの時、初めて知った。
朝、起きてすぐに歯も磨かずしたあと、彼女が言ったんだ。
「食事した後にセックスするのって、めんどくさくない?」
「え、普通だと思うけど」
「そか。でもさ」
「うん」
「私たちが会う時って、セックスしたい時だよね」
「まあ」
「だったら、まずセックスしてから、なんか食べ行った方がよくない?」
「うーん」
「だって、食事するのが目的じゃないんだよ、セックスだよ目的は」
「……」
悲しいような気もするし、しかし悪い気もしない。
「私はさ、『てんや』でいいんだよ、食べるだけだったら」
「『てんや』って……」
「いっつも美味しいとこ連れてってくれるけど、食べるだけだったら『てんや』でもいいってことだよ」
「でも『てんや』って……」
「うるさいな、てんや、てんやって」
お前が言い出したんじゃないか、と、この時はじめて彼女に憤りを覚えた。
「てんや、てんや、てんや、てんや……」
彼女が僕の口を強くふさぐ。寝起きの口が臭う。でも、どういう訳だか、今までのキスの中でいちばんおいしかった。彼女の味がした。
エレベーターが止まる。
僕が店の扉を開け、彼女が入る。
窓側の、東京タワーが見える席に案内された。
アミューズは、どういうわけかラムチョップ。
「おかしくない?」
彼女が言う。
「まあ、たしかにおかしいね、アミューズにラムチョップは、おかしい」
「だっていきなり肉だよ?大腸がんになっちゃうよ」
さすがの僕も小さな声で叱る。
「ならないよ!店の人に聞こえるよ!」
次が、大葉と茗荷と、セロリのサラダ。少し甘みのあるコリアンダーのドレッシングがうまい。
けど、彼女は青白い顔をしている。
「私、これ嫌い。苦い」
わかった。野菜嫌いなのはわかってるから、僕が全部食べるよ。
「苦いでしょ、毒なんだよ」
だから、店の人に聞こえるって。そんなこと言わなくていいよ、いちいち。
「だから、トゲのないのは食べちゃダメなんだよ」
なんの話だよ。
「トゲのない奴の方が食べやすいじゃん」
「なに?」
たまらず訊く。
「怒ってる?」
怒ってはいないよ、でも怒ってるよ。
「怒ってないよ。なにトゲって」
「だから、トゲのない奴は危ないんだよ」
「だから、トゲって?」
「なに、聞いてなかったの?サボテンだよ」
「あー」
「聞いてなかった?」
「いや、聞いてた。わかった」
「だから、トゲのないサボテンがあるんだけど、それは食べちゃダメなんだって」
「なんで?」
「なんか、死んじゃうみたいよ、砂漠の真ん中で」
「なんで?」
「よくわかんないけど。でも、トゲのないのはニガいんだよ」
「苦いんだ」
「そう、見た目もまるっこくて可愛いの。それでトゲもないから食べやすいでしょ。でも食べちゃうとニガくて、あ、そうだ幻覚が見えるんだって」
「幻覚か」
「そう。で、砂漠の真ん中で頭がおかしくなって、死んじゃうんだってさ」
「そうなんだ」
「だからニガいのは毒なんだよ。野菜もそうだよ」
わかったよ、だから俺が食ってるじゃんか。
二人分の皿が下げられて、ムールが出る。
ムール貝か。いまいち好きになれないな。
両親の実家が漁師町にあったので、海辺でムール、というかカラス貝はよく見た。しかし食べた事はない。カラス貝というのはたいてい漁港のコンクリートに打ち捨てられているものだった。当時はあんなもの、誰も食べなかったのだ。
今ではこじゃれたレストランでやたらとムールを出したがるが、僕にはどうも「どうせ捨てるものだろう」と思えてしまう。
彼女も、つまらなそうな顔をしながら貝殻を使って身を取り出している。
そう言えば、彼女も漁師町の出身だ。
だからか、と気付く。
漁港のある町には、潮風の具合によって海のにおいが充満することがある。様々な海の生物、ことにそれらの死骸から出るにおいの混ざった風が、静かな波音の中、滞留するのだ。
その悪臭の中にあって、幼少期の僕は、妙な充足感を得ていた。腐敗臭の中に、子供ながらに「なまめかしさ」のようなものを感じ取っていたのだ。
彼女も同じような子供だったに違いない。
メインは赤身肉のグリル。
血の滴る肉片を口に入れて、彼女はごく小さな声でささやく。
「うまい……」
言葉遣いが乱れたことに気付き、少し口に手を当てたあと、僕に話しかける。
「やっぱり、400グラム1000円のステーキとはわけ違うね」
「400グラム?何の肉、それ」
「ギュウだよ、牛肉。秋葉原にあるの。あたし好きでたまに行くんだけど、やっぱり所詮B級ね。所詮ね」
400グラムか、僕の歳では無理だな。その大量の肉を想像すると、胸が一杯になる。
それでもなんとかミディアム・レアに焼かれたフィレ肉を胃の中に収め、一息つく。彼女はもうとっくに食べ終えて、パンなんかおかわりしている。
デザートはキャラメルのアイスクリーム。彼女に二人分食べてもらい、僕は残ったブラン・ド・ブランを少しずつ飲む。
店を出て、エレベーターの「閉」ボタンを押す。
その瞬間、彼女がこっちを見て、ほんの少しだけ口を開ける。10階から1階につくまで、キャラメル味のキスをした。
彼女を地下鉄の駅まで送り、一人でホテルに戻る。やっぱり二人で一本は多すぎたかな。彼女はほとんど飲まなかったので、僕は結構酔っている。ベッドに倒れ込み、しばらく天井を見ながら考えたあと、うつぶせになる。
白いまくらから、彼女の臭いがする。大きく息を吸い込む。
「あたしも好きよ、あなたのにおい」
僕が彼女に好意を告げたときに、彼女はそう応えた。そう言われて初めて気づいた。僕も彼女の「におい」に惹かれたのだ。
初めて肌を合わせたときに感じた、コンデンスド・ミルクのような、あるいはクミンのような、そしてあの漁港を思わせるような、なまめかしいにおい。そこにごく弱く、柑橘系の香水が重なっている。混然一体となった、その「におい」に僕は陶然となっていた。
何度か彼女に会ううちに、好きになっていった。その時には、彼女に恋する理由を自分で勝手に考え、無理やりに理屈立てようとした。
可愛いから、体がきれいだから、歳が18歳も若いから、性格がさっぱりしているから、嘘のない性格だから……
そうじゃないんだ。いや、そんな理由も確かに大事なのだけれど、まず第一に彼女の「におい」が好きだったんだ、僕は。
その時にSNSの連絡先を交換して、次からは会うたびにホテルでセックスをするようになった。
いつも、部屋に入るとすぐ行為になだれ込む。
シャワーは相手のにおいを洗い流してしまうから以ての外だ、クーラーもにおいを弱めてしまうので、今の季節でもエアコンはつけない。
おたがいのにおいを嗅ぎながらキスをし、からだ中を指と舌で愛撫してから、洗っていない相手のものの香りを確かめた上で、それらを舐め合う。
挿入してから僕は、彼女の腋に鼻をうずめる。
僕がいきそうになると、彼女は決まって「私を穢して」と、ささやくように言う。いつも僕は切ないような気持で、彼女の体に、あるいは口内に、穢れた液体を注ぐ。
そして彼女は、そのクリームを飲み込むときに決まって一言「くさい」というのだ。それが好きなくせに。
そのあと汗まみれの体を冷水で流して、二人で食事に出かける。
まくらの臭いをかぎながら、今までの、そしてさっきのセックスを思い出す。彼女はまだ地下鉄に揺られている頃だろうか。
セックスをしてから、シャワーを浴び、さらにその後に食事に行く。普通の恋人同士なら、順序が完全に逆なんじゃないか、と思う。でも、順番なんてどうでもよかった。
* * * * *
その週末、配偶者に請われて園芸店に出かけることになった。ひどく暑い温室にいっぱいの観葉植物に囲まれながら「食べられない植物」に興味を持てない僕は、手持ちぶさたでぶらぶらするより他ない。
ふと、多肉植物の群れが目に入る。サボテンか。
そういえば、と思って探していると、すぐに見つかった。
「表面が乾いた草団子」のようなそのサボテンには、たしかにトゲは一本もなかった。その代わり、ところどころから綿毛のようなものを吹き出している。
「なにそれ、かわいい」
僕の肩越しに、奥さんが言う。
「でもこれ、観葉植物としてどうなの?成立してる?」
なにか後ろめたい感じがして、買いたくない風を装う。
実際、どうもこのサボテンには可愛げがない。
「成立してるよ。かわいいもん」
早速一鉢取り上げて、カゴに入れてしまった。
その日から、私と妻とサボテンの三人暮らしが始まった。家の中に彼女がいるような気がして、不穏な気持ちになる。
* * * * *
なるべくサボテンと目を合わせないように生活している。あれ以来、彼女とは会っていない。
それどころかそのうち、メッセージが来なくなった。彼女はまめな方では全くないけれど、それでも今までは、日に一度はメッセージを返してくれていた。
いつからか、それがぱったり途絶えた。
一日おきに「元気?」とか「大丈夫?」と送ってみるが、既読にはならない。
嫌な予感がして、彼女が在籍している店のサイトを見てみると、そこから彼女のプロフィールが消えていた。
初めて店で会ったときから、彼女は僕に色々なことを話してくれた。生い立ち、恋愛経験、家族のこと趣味のこと、それに住んでいる場所まで。風俗店で働いている女の子としては赤裸々すぎるんじゃないか、とこちらが心配になるほど、なんでも自分からしゃべってくれた。
今思うと、彼女は自分の性癖と同じ「におい」を僕に感じ、だから心を開いてくれたのかも知れない。
僕も自然とオープンになり、好意を持つようになった。
その後も関係が続く中で、彼女のことなら何でも知っているような気持ちになっていた。
しかし今、自分が彼女の電話番号すら知らないという事実に直面している。
あまりに無防備で明け透けのように見えた彼女だけれど、その実、決して僕を「ある範囲」から近づけてはいなかった。
ふと、最後に会ったときの会話を思い出す。サボテンか、もしかしたら、実はトゲだらけだったのだろうか。
その日から、彼女のすべてが疑わしく思え始めた。彼女が話した彼女自身のことも、実はすべて嘘だったのかも知れない。いや、嘘だったに違いない。実に見事に虚構の人生を築き上げたものだ。
そして、僕の心は硬くなった。
ある日、何も手に付かないような気分になり、スマートフォンの画面を見ていた。SNSを立ち上げてみる。そこでは、時間が止まってしまっていた。
すると突然、全ての僕のメッセージが既読になった。思わず目を見開く。
すぐに彼女から、こんなメッセージが届いた。
「困惑してると思って一度だけメッセージ送ります。いろいろあって、もう会えなくなりました。ごめんね。あたしは大丈夫だから」
慌てて平静を装い「いろいろあったのか」と返信したが、それが既読になる事はなかった。
困惑か。たしかに困惑していた。しかし、こんなことなら困惑し続けていた方がよかった。
彼女の肉体、声、言葉、そしてにおい。すべてが欲しい。今までずっと思っていたことをもう一度念じてみる。でももう、それらは僕の手のひらからこぼれ落ちてしまった。
困惑の後に残ったのは、もう二度と手に入らないものに対する渇望だ。
家に帰り、薄暗い部屋でしばらく考えた後、僕は傘をささずに近くのコンビニまで出かけた。キャラメルのアイスクリームと、ミネラルウォーターを買う。
帰り道、雨が急に強くなって僕の眼鏡に打ち付いてくる。立ち止まり、眼鏡を胸ポケットに入れた後、たまらなくなってミネラルウォーターの蓋を開ける。
半分ほどの量を一気に飲むが、喉はまだ渇いている。
部屋に戻り、急いで服を着替えてから冷凍庫のタンカレーを取り出す。
トゲのないサボテンを少し見つめた後、つかんで引き抜いた。あまりにあっさりと抜けてしまい、土が周囲に散らばる。
その太い根っこをつかんで、かじりつく。
苦い。彼女の言った通りだ。
彼女は僕に嘘をついたことがない。彼女の言うことは、常に本当だった。
だから僕は、トゲのないサボテンは苦い、という彼女の言葉を疑ったことはなかったし、確かに苦かった。
味を中和させるためにアイスクリームを口に放り込む。最後のキスの味がする。
サボテンとアイスクリームを食べ終わった後、バカラのショットグラスでタンカレーを三杯あおり、そのままベッドにもぐりこんだ。
固く目を閉じる。僕にはもうなにも手に入らない、と思いながら。
真っ暗な中で、雨の音が聞こえる。世界が洗い流されている音だ。
そのまま、何時間たったのだろう。目をつぶっていても外が真っ暗になっていることが分かる。
まぶたの裏側に、なにかが見える。幻覚ではない、もっとはっきりとした影だ。
ピンク色のような、藍色のような、あるいはベージュのような強く明瞭な光が見えた。
その光は、しっかりとゆらめき、ぼんやりとした閃光を放ったあとに、長い時間をかけて、ひどく明るいまま、あっという間に消え去っていった。
あれは、確かに彼女だった。
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